事業報告

 ◆【1】北方圏交流新時代―新千歳‐ヘルシンキ線就航に向けて  

 調査研究部 森内 壮夫

 

 今年12月からフィンエアーがフィンランド・ヴァンター空港と北海道・新千歳空港を結ぶ冬期間限定の定期便を就航させることになった。北海道とヨーロッパを繋ぐ空路が17年ぶりに復活することになる。

 

 冬期間にパウダースノーを目指してやってくる欧州のスキーヤーの来道にフィンエアーが商機を見込んでの就航とのことだが、同時に北海道民にとっても、久々にヨーロッパへのアクセスが格段に向上することになる。インバウンド-アウトバウンドの交流人口の増加のみならず、日EU経済連携協定(EPA)が発効され、物流やビジネスの利用に対しても期待がかかる。利用客が安定的に見込める場合、通年就航の可能性もあると噂されている。逆にバランスシートのマイナスが続けば早期撤退もあり得るであろう。

 

 筆者が所属する公益社団法人 北海道国際交流・協力総合センター(HIECC)にとってもこの定期便が就航することの意味は大きい。HIECCの前身である北方圏センターの設立理念である「北方圏構想」の交流の主要な相手が北欧だったからだ。北欧への直行便開通は、すでに成熟期に突入している北方圏構想を再び推進させる契機となる可能性を意味している。

 

「北海道は地理的にも北方圏の要衝にあり、北方圏諸国との交流拠点として、重要な役割を担うことが期待される」と謳う北方圏構想であるが、これまで人的・地域同士・民間の相互的な友好交流は大きな実績を上げてきているところ、直行便の就航は経済交流を広げる可能性を秘めている。そういう意味からも、この就航は北方圏構想を再訪し、振り返り、ヒントを探り、今後の北海道が地域として活性化されてゆくためのビジョンを改めて考えてみる、絶好のチャンスといえるであろう。

 

 就航に先立ち、フィンランドへ調査に行く機会に恵まれた。滞在中、調査取材の一部をハイエックのホームページで紹介したい。

 

筆者が乗った成田発のフィンエアー6801便

 

 ◆【2】北方圏交流新時代―新千歳‐ヘルシンキ線就航に向けて  

 調査研究部 森内 壮夫

 

【北方圏構想とは】

 

 フィンランドの調査取材に入る前に、北方圏構想を改めて振り返ってみることとしたい。

 

 「われわれは今まで狭い地域のなかで物事考えすぎてはいなかっただろうか。――――こんにち国際化時代といわれながらも、国々はそれぞれの国境や政治体制や社会構造の違いと壁を持っている。それはインターナショナルに考えているからであり、さらに次元を高めてグローバルに眺めれば、そこには国境も政治社会体制の相違もなく、ただの太陽系の惑星とのみ存在するのである。そうした発想の転換こそが私の主唱してきた『北方圏構想』であり、『北方圏へのグローバリゼーション』である。――――そこから隣人愛がはぐくまれ、学術や文化、スポーツの交流が生まれ、やがては産業、経済の交流の道が開け、相互繁栄へとつながることであろう」

 

 1972年11月季刊北方圏(当時はHOPPOKENではなく「北方圏」と漢字だった)巻頭言からの引用だ。「北方圏へのグローバリゼーション」と題された巻頭言の作者は北方圏調査会長の堂垣内尚弘・北海道知事(当時)である。

 

 北海道総合政策部は「北海道国際化の意義」の中で開拓時代以降の北海道の国際化を振り返り、北方圏構想の意義・評価について以下の通り総括している。「北方圏構想の成果は道民の暮らしの中にさまざまな形で反映されている。例えば、歩くスキーやカーリングなどの冬季スポーツ、全道で開催される冬のイベント、寒冷地用の高気密住宅の発達、地下街の形成など地域づくり、街づくりにも影響を与えている。北方圏構想は、北海道として初めての国際戦略として評価される。すなわち、本道が抱える様々な課題を気候風土など類似した条件にある海外にその解決方法を求め、その交流成果を具体的に地域づくりに反映していった。現在、道が検討を進めている自主・自立化推進プランとも符合する『北海道自立運動』であったと言える」

 

「北方圏構想」というワードは堂垣内尚弘道政時代の1971年度にスタートした道の第3期総合開発計画に初めて盛り込まれた。その考えは「積雪寒冷など北海道と気候や風土の類似している北方圏の諸地域に住む人々が、国境や言語の壁を越えて、生活や文化、学術、 スポーツ、産業経済など各般の交流を通じて、生活の知恵や技術を交換し、相互の地域の発展を図ろうとするものである」と定めている。この構想を読み解くカギは「交流」である。北方圏地域はアラスカを含むアメリカ北部、カナダ、北欧諸国、ロシア極東・シベリア地域、中国東北部などが含まれる。

 

 北方圏構想が出現した時代背景として、中央との従属性の強い経済構造からの脱却をめざし、新たな発展の方向性を見出すため行財政面における自立を達成する機運が高まっていたことが挙げられる。堂垣内知事は弊誌の23号(1978年)のインタビューで「開拓以来の中央から持ち込まれた南方志向の発想を、北海道の風土に立脚した北方志向の発想へと道民意識の転換を求め、北国である北海道の特性を生かした地域づくりを目指していこうとする。それが『北方圏構想』」と語っている。この時期の稲作の冷害、北洋漁業の不振、炭鉱の閉山などによる経済の低迷も、パラダイムシフト=価値観の転換を促す作用に拍車をかけたと見ることもできるだろう。グローバルな視点でも東西の壁が立ちはだかり冷戦の緊張が依然と続く最中、オイルショック前夜、日中国交正常化直後という激動の時代と重なる。『北方圏構想』という旗印を掲げ、北方圏諸国との交流を通し、国からの財政資金への依存体質を改め、自立的な北海道を築こうという、スケールの大きな気概だったのだ。

 

北方圏構想の推進母体としては1971年に発足した北方圏調査会(毎日新聞社が大きくかかわった)から始まり、72年には北海道開発調査部のなかに北方圏調査室が設置され、76年に北方圏情報センターを併設。78年に北方圏調査会は(社)北方圏センターとして発展的に改組し、2011年に(公社)北海道国際交流・協力総合センター(HIECC)に名称を変更し、現在に至っている。名称変更を経て、北方圏センターは調査研究部内に内部機関としておかれている。

 

 

 

◆【3】北方圏交流新時代―新千歳‐ヘルシンキ線就航に向けて フィンランドの日本食材店オーナー 冨田 憲男さんに聞く

 

冨田さんを日本で知る人は多くはない。ただし、フィンランドではよく知られた存在だ。昨年12月のテレビ朝日の「陸海空地球征服するなんて」なるバラエティ番組で「フィンランド地元民に聞く最も有名な日本人は誰か」というアンケートが行われ、結果は以下の通りだった。

 

1位 葛西紀明(スキージャンプ) 66票

2位 ツルネン・マルテイ(元政治家) 28票

3位 村上春樹(作家) 22票

4位 黒澤明(映画監督) 21票

5位 羽生結弦(フィギュアスケート選手) 20票

6位 舘野泉(ピアニスト) 19票

7位 田中亜土夢(サッカー選手) 15票

8位 小田二郎(鮨職人) 11票

9位 冨田憲男(経営者) 10票 

10位 高梨沙羅(スキージャンプ) 9票

と、母数は少ないものの高梨選手を抑え堂々の9位。

 

 冨田さんは1986年からフィンランドに在住。80年代後半から日本食食材店を経営し、日本食材をヘルシンキ市を拠点に広げてきた。昨年、日本食・食文化の魅力を発信してきた功績が認められ「日本食普及の親善大使」として農水省から表彰を受けた。その他、日本とフィンランドとの相互理解への尽力が認められ、平成29年度外務大臣表彰者(個人)も受賞している。

 

 また、ヘルシンキ近郊にはフィンランド人が桜を愛でながら日本文化を学ぶ「桜祭り」が行われている公園がある。その「桜」の仕掛人が冨田さんだった。当時フィンランド日本人会会長であった冨田さんは2006年に「フィンランドで花見を」の思いをフィンランド在住の日本人に提案。提案が支持され様々な人たちの協力を得て、2007年にはヘルシンキ市から認可が下り、無事桜の成木約150本が植樹された。2017年にはフィンランド独立100年を記念し新たに10本の桜が植えられ、今年は北海道から種子を輸入しフィンランドの研究所で育苗されてきたエゾヤマザクラが植えられる。今では花見時期に3万人以上、そのほとんどがフィンランド人という一大イベントに成長した。過去のイベントでは会場となるヘルシンキ市内のロイフヴオリ公園で和太鼓や武術の演武、本格的な今川焼を提供したこともあった。

 

つぼみを付け始めているロイフヴオリ公園の桜。後ろの構造物は貯水塔

 

 

 フィンエアーで北海道とヘルシンキが結ばれることについて、現地の事情に明るい冨田氏に話を伺った。

 

――フィンエアーで北海道とヘルシンキが12月からつながりますが

冨田氏―非常に良いこと。人的交流が増加するのは当然、経済活動の活発化も期待できる。渡航時間短縮は忙しいビジネスマンには大きなメリットとなる。

 

――特に北海道ということでいえば、具体的にどのような利用が期待できますか?

冨田氏―例えばここ数年の寿司ブーム。従来中国人やネパール人のお店で安く食べることができたが、最近日本人の職人が進出し「ヘルシンキで比較的本物志向の寿司が食べられる」ということで差別化に成功している。日本のコメを輸入しており、その分高いがおいしいと評判だ。昨年は50トンのコンテナ3本輸入している。その店には昨年前桜田五輪相も来店し、絶賛していた。寿司のネタなどに関しては輸送時間の短縮で生のものが提供できる可能性が出てくる。EPA発行も追い風になる。

 

――北海道米も特Aランクのお米があります

冨田氏―コメは船便。コストがかかりすぎると、商売にはならない。前にある県の特産品の売り込みを受け、地元の食通を集め試食物産展を行ったことがある。リンゴやニンニクやホタテを売り込んだが、結局流通コストを上乗せしたら全く売れなかった。試食では皆美味しいというが、1個10ユーロのリンゴを買う人はいない。北海道のからの空輸便で流通コストを上乗せして、尚且つ売れるものを探さなければならない。マーケティングは絶対に必要。「特産品だから売りたい」は通用せず「売れるものを探す」から始めなくては商売にはならない。道産米もいいでしょう。北海道から船便で米を50トン送りたいという希望があれば、お手伝いする。

 

――北海道の企業や食産業関係者がフィンランドに進出したことはありますか

冨田氏―自分の知る限りはない。一度、西山製麺さんの相談を受け、こちらで試食会をしたことがある。冷凍麺だったが、非常に好評で「ぜひこのラーメンが食べられる店を」とまで言われた。西山製麺さんはラーメン店の経営はしていないということで、話は立ち消えになったが、ラーメン出店のポテンシャルはあると思う。ヘルシンキにもラーメン店はあるがほとんど中国人が経営していて、本場のものとは言えない。西山さんはドイツにも麺を出しているはず。日本3大ラーメンの一つ本格的な札幌ラーメンは歓迎されるはず。

 

――芬日国交樹立100周年ですが、日本人会では何か考えていますか?

冨田氏―日本とフィンランドの国交100周年を記念し、浜松フィンランド協会が同国にみこしを寄贈する。5月18日にはヘルシンキで、現地住民とみこしを担ぎメインストリートを5Km練り歩くお披露目イベントを開く。みこしは群馬県の宮大工に依頼して作った本格的なもの。イベント後には国立博物館にも展示され、終了後は寄贈する予定。今はその準備でてんてこまいだ。

 

―――そのほか最近のフィンランドの話題を。

冨田氏―週末に国政選挙があり社民党と真のフィンランド党の議席争いが注目されている。移民排斥を謳う真のフィンランド党が議席を伸ばすと予想され、右傾化が気になっている。あとは、8月に皇室が来芬する予定。その時期にメルケルさんが退陣し、新EU議長も決まるので大使館は対応に追われるだろう。また、無印良品がヘルシンキに欧州旗艦店を出店する予定だ。ロンドン、パリではなくヘルシンキにというところが、ミソで北欧デザインに親和性を見出したのだろう。

 

――最後に「東京館」の売れ筋商品は何ですか?

冨田氏―キューピー深煎りごまドレッシングが不動の一番。あとはフィンランド人の調理人が和包丁をよく買っていく。

 

――ありがとうございました。

冨田氏―北海道からたくさんの方々が来ていただくことを期待している。

 

東京館にて

 

 

 

◆【4】北方圏交流新時代―新千歳‐ヘルシンキ線就航に向けて ヨンネ・レヘティオクサ アジア・オセアニア地区 営業統括本部長 フィンランド航空 営業統括本部(以下、レヘティオクサVP)に聞く 

 

 調査研究部 森内 壮夫

 

 フィンエアーが、北海道と欧州を結ぶ直行便を冬期間限定で就航する。欧州と北海道がつながるのはKLMの撤退以降実に17年ぶりになる。2019年12月5日から2020年3月27日までの運行で、北海道からの往路便が毎週金曜、新千歳空港を11時半に出発しヴァンター空港に14時に到着。ヘルシンキからの往路便は毎日曜日ヴァンター空港を17時に出発し新千歳空港に翌9時に到着する。実質的には8時間程度のフライト時間を見込んでいるという。以前筆者がエアアジアXで新千歳空港からクアラルンプール直行便を利用した時も8時間のフライトだったが、同じ8時間でヨーロッパに行くことができるとは驚きである。それほどヨーロッパが遠いというイメージが染みついているということだろう。

 

 直行便がどれくらい便利になるのかということを実感するために、筆者は今回の取材で11時成田発のフィンエアーに乗った。朝4時に起き、5時過ぎに家内に空港直行バスの停留所まで送ってもらい、7時に新千歳空港に到着し、8時の成田便に乗り込む。9時半に成田に到着し出国手続きを済ませ11時発のヴァンター空港行のフィンエアーに搭乗。15時過ぎにヴァンター空港に到着するころにはかなり疲労困憊している。ところが直行便では7時起床、8時出発で十分間に合うことになる。旅疲れに見舞われる復路は、往路便以上のメリットをさらに感じるに違いない。忙しいビジネスマンであればあるほど、短いフライト時間の恩恵にありがたみを感じるだろう。

 

 フィンエアーの本社はヘルシンキ中央駅から電車で30分、ヴァンター空港から一駅のAviapolisという駅にある。Avi=鳥≒航空の、Polis=都市ということで、駅一帯にはフィンランド航空の関連企業が集積している。取材当日は日差しが強い晴天で、フィンエアー本社社屋の屋号の文字が青空に白く映えていた。

 

 

 今回、北海道就航を実質的に決定したといってもよい、ヨンネ・レヘティオクサ アジア・オセアニア地区 営業統括本部長兼ヴァイス・プレジデント(VP)には、超多忙なスケジュールを無理して時間を作っていただき「北海道は、これからの大切なパートナーなので」ということから30分だけという約束で取材に応じてくれた。フィンエアー東京支社は彼の管轄となる。

 

―――お忙しい中、お会いしていただきありがとうございます

 

 レヘティオクサVP―こちらこそ。北海道からようこそ。歓迎する。私も先週東京から戻ったばかり。北海道の直行便就航準備で忙しい。ただし、北海道は特に大切なパートナーだ。ご足労感謝する。

 

―――ヨンネさんはアジア通とお聞きしましたが

 

 レヘティオクサVP―私は中国エリアのマネージャー時代に香港に3年住んでいたことがある。日本には何度か訪問したことがあるが、長期間住んだことはない。フィンエアーにとって、アジア、特に日本は最も有望なマーケットだ。フィンエアーと日本の関係は1983年にヘルシンキ―東京便を飛ばした時が始まりだ。以来、95年に大阪、2006年に名古屋、16年に福岡と路線を拡大してきた。フィンランド人は日本人と気質的に似通うところがあると、常々感じている。

 

―――日本就航便を拡大する理由は?

 

 レヘティオクサVP―日本は売上高や旅客数で、フィンエアーにとって本国フィンランドに次いで2番目の市場だ。昨年5月以降は成田―ヘルシンキ線が1日2便体制に拡大。関西、名古屋、福岡の発着分も合わせると、日本とヘルシンキを結ぶ路線が週34便(注・最大便数は夏スケジュールの間のみ)となり、ルフトハンザドイツ航空やエールフランス航空などを押さえ、欧州エアラインとして日本路線の最大手となっている。

 

―――そこに北海道への就航ということですね

 

 レヘティオクサVP―北海道便にはいろいろな可能性があると考えている。一つは、今や全世界のスキーヤーを虜にしているパウダー・スノーだ。フィンランドにもスキー場はあるが、一度北海道でスキーを体験すると、北海道に何度も行きたくなるという地元スキーヤーの話を聞いた。フィンランドに限らず、ヴァンターを経由するヨーロッパすべてのスキーヤーが歓迎する路線だ。特に北欧すべてと英国には期待している。北海道POWDER SNOWは今やマジック・ワードとなっている。「ニセコでスキーを」というのが欧州のスキーマニアの合言葉だ。札幌雪祭りとも就航期間が被るし、アウトバウンドの可能性は準備段階からある程度手ごたえを感じている。

 

―――17年ぶりの欧州直行便に道民も歓迎ムードです

 

 レヘティオクサVP―成田便は一度北上し、札幌上空を超えてハバロフスク方面に進路をとる。札幌から成田でフィンエアーに乗る旅行者は、まるまるその航路が重複していることになり、そこを省くことができれば時間の短縮、コストダウン、環境へのインパクト緩和にもなる。すでに現地(北海道)のツアーオペレーターがいろいろとパッケージングを考えていると聞いている。例えば冬に限れば、ラップランドのオーロラツアーやサンタランドのツアーは世界的に人気が高い。温泉が好きな北海道人はフィンランドのサウナも気に入るだろう。フィンエアーはJALと提携しているので、直行便には日本人アテンダントを配置し、日本人に配慮したサービス、例えば年配の方々が乗客の中にいる場合は時々声をかけたり、大きな声でおしゃべりしていてもそっとしておくなど、日本の文化に配慮するつもりだ。

 

図示しながらヘルシンキと北海道の距離を力説するレヘティオクサVP

 

―――スキーのほかには何かありますか?

 レヘティオクサVP―一つは、日本独特の文化だ。日本に滞在することによって、Cultural immersion、つまり日本文化にどっぷりと浸かることができる。日本風の宿に泊まり、昼はスキーを楽しみ、スキーから帰ってきて雪見温泉に浸かり、夜はに和食を食べながら日本酒を楽しむ。これは日本以外、いや北海道以外ではなかなか楽むことができないだろう。

 

―――北海道には北海道フィンランド協会他、北方圏地域と地道に交流を続けている団体や個人がたくさんいます

 

 レヘティオクサVP―非常に心強いし、そのような地元の方々を通してAwarenessを啓発していくことが成功のカギを握っていると思っている。地元の方々の力添えがなければ安定的な就航を保つことがむつかしいことは、日本のほかの空港でも経験している。

 

 パイヴィト広報担当―今年の雪まつりで製作されたヘルシンキ大聖堂は国内ニュースでも大きく取り上げられ、映像を見たわ。美しさに感動し、実物を見てみたいと思ったわ。何より、北海道の方々がフィンランドのことを思ってくれていることがとても嬉しい。

 

―――シビアなことを聞きます。成田・大阪はビジネスマン、旅行者、中部はトヨタという巨大企業城下町、福岡も旺盛な旅行需要がある土地柄と成功のキーとなる要素があります。一方、北海道は他地域と比較し経済基盤が強固ではないという地域特性がありますが。

 

 レヘティオクサVP―マーケティング済みだ。まずは試さなければ何も始まらない。今までも色々な障がいがあったが、乗り越えてきた。リーマンショック時や震災の時にも乗客が減ったが、撤退ということは考えなかった。一度その地に飛ばす決定をしたら、何とか頑張るしかない。北海道は勿論だが、例えば東北エリアの需要も若干は見込めるのではないかと思っている。特に新幹線が開通すれば、東京に下って長いフライト時間を選ぶか、札幌に北上して短いフライト時間を選ぶか。運賃が安ければ後者を選ぶ可能性が高いだろう。もちろんビジネスだからすべての選択肢を排除することはできないわけだが。

 

―――ずばり、運賃はどれくらいを想定していますか

 

 レヘティオクサVP―この業界では「運賃ほど予測不能なものはない」とよく言われる。価格は需給のバランスで決まるので、ハイシーズンとそうではない時期の差が出るのは仕方がない。クリスマスシーズンが高くなってしまうのは仕方がないが、今思いついたのは600~700(約77,000円~約90,000円)ユーロを考えている。あくまで自分の頭の中の話だが。

 

―――私が今回利用した便は大体1,000ユーロですので、それに比べかなりお得感がありますね。自分の肌感覚だと10万円を切ってヨーロッパというのリーズナブルなイメージがあります。

 

 レヘティオクサVP―新千歳から成田、成田から新千歳の国内移動費がかからないわけだから、当然ある程度のコストダウンは可能だ。10万円以下には押さえたいと考えている。ただし、何度も言うがハイシーズンは運賃がぐんと上がるだろう。

 

―――最後に新規就航にかける意気込みを

 

 レヘティオクサVP―ヘルシンキは日本から一番近いヨーロッパということをことさら強調したい。それが「北海道」からだとさらにその距離、移動時間を短縮できる。つまり、成田空港よりも近い。すなわち日本で最もヨーロッパに近いのが北海道ということになる。まずはその認識を広めていきたい。使用機材はエアバス330を予定しているが、静粛性に優れ旅行者に配慮した、利用者が疲れにくい機材だ。一時間に何度も換気を行うので、ジェットラグが軽減される。まずは、ぜひ一度は直行便を利用してフィンランドに来てほしい。また、ご存知の通り日本にとってはヴァンター空港はパリのシャルルドゴール空港に次ぐヨーロッパのハブ空港(注・日本からヨーロッパの間の夏スケジュール期間)で、無数の乗継便がある。ヨーロッパそのものが近くなる、そういっても過言ではない。滑走路が3本、ターミナルも2つあり、短い乗り継ぎ時間、最短で35分あればスムーズにトランスファーできる工夫がされているので、旅行ストレスが圧倒的に少ないのも魅力だ。(注・他空港と違い1つのターミナルで乗り換できる利便性が特徴)、(注2・3つの滑走路を備えているので上空で待機することが少なく無駄な遅延を回避可能にしている)

 

 パイヴィト広報担当―現在ターミナル2を大規模改修中で完成すれば、さらに利便性が向上するわ。日本語表記も増える予定で、英語が苦手なパッセンジャーにも利用しやすくなる予定。

 

 レヘティオクサVP―百聞は一見に如かず、是非一度はご利用を!

 

―――新しい知事が誕生しました。ぜひ北海道にお運びください。

 

レヘティオクサVP―ぜひそうしたい。次回は北海道で会おう。

 

パイヴィト広報担当―ヘルシンキ滞在中、是非サウナを楽しんでいってください。

 

 

レヘティオクサVP

 

パイヴィト広報担当

 

 忙しい時間をかなりオーバーして対応いただいたレヘティオクサVPから感じることができたのは、北海道便にかける並々ならぬ思いだ。北海道民として、その強い思いを受け止め、その思いに応えたい。

 

 インバウンド客の数的拡充による経済効果のみに傾注すると、重要な相互交流の側面が抜け落ちる。インバウンド客の数値目標を達成する一方で、サービスの向上、旅行体験の質的向上を目指さなくてはいけない。フィンランドを含むヨーロッパからの旅行者に求められるのは、「多少料金が高くても上質な旅行」という印象を受けている。極端に言えば「安かろう悪かろう」の路線の逆を追求することが、欧州客を引き寄せ、定着させるカギのような気がする。パーキャピタインカムが日本や近隣アジア(※シンガポールを除く)の上を行く欧州の潜在的な旅行者には、アジア近隣からの団体旅行者とはある意味差別化を図る戦略も必要になるであろう。ニセコ地域ではある程度クオリティが高い旅行が期待できるが、すでに飽和状態だ。以前アルペン競技のワールドカップが行われ、雪質もニセコ以上に上質な富良野エリアなどが今後のインバウンドスキーヤーの目的地になる可能性が高い。

 

 さらに、インバウンド誘客のみに固執してしまうと、アウトバウンドが疎かになり持続的な互恵関係を築くことは困難になる。互いの目的地同士が相思相愛でこそ交流人口のバランスが保たれる、とレヘティオクサVPが強調していたとおりである。 

 

 取材を通して、北海道サイドはフィンエアーが飛ばす欧州とのダイレクト・フライトによる種々の可能性の広がりを盛り上げ、周知し、潜在的なアウトバウンド客へのリーチを拡大してゆくことが重要だと感じた。まずは、「ヨーロッパが近くなる、そして安く行くことができる」ことの徹底周知を官民挙げて行い、オール北海道で就航を盛り上げてゆきたい。

 

今年の雪まつりの大雪像にもなったヘルシンキ大聖堂

 

 

 

◆【5】-1北方圏交流新時代―新千歳‐ヘルシンキ線就航に向けて  北海道とフィンランドの様々な交流

 

 北海道とフィンランドとの交流は多岐にわたる。すべてを網羅的に掲載することは困難であるが、自治体間交流、学術交流、先住民族間の交流、民間交流について若干触れたい。

 

 ≪1.自治体間交流≫

 道内にはフィンランドの自治体と友好提携している町がふたつある。奈井江町=ハウスヤルビ町、壮瞥町=ケミヤルヴィ市だ。

 

【奈井江町とハウスヤルビ町】

 奈井江町は開基50周年を記念し1994年に「健康と福祉の町」を宣言。背景には、もともと住友奈井江鉱などの石炭産業が街を支えていたが、70年代後半から急激に斜陽化。労働人口が町から激減し、残された町民の高齢化に対応すべく、健康・福祉政策に町政の軸足を置くことに決定した。厚生労働省(当時)から福祉政策先進自治体として紹介されたハウスヤルビ町に医療福祉関係者を派遣し、相互交流が始まる。95年に北良治町長(当時)がハウスヤルビ町を訪問し、友好都市提携に調印。96年から計8人の町職員をひと月ずつ送り込み、保険・福祉・医療の分野で研修を重ねた。ハウスヤルビ町からも町長や医療福祉分野の人材が来町し、研修などを通じて福祉交流を続けてきている。北町長はハウスヤルビ町との交流などから着想を得て、1998年には歌志内市、新十津川町、上砂川町、浦臼町、雨竜町と連携、空知中部広域連合を結成して介護保険事業を行うことを提案し、実現させた。1996年に設置された巨大なログハウスの道の駅は「ハウスヤルビ奈井江」と命名され、今でも交流のシンボルとして利用されている。

 

【壮瞥町とケミヤルヴィ市】

 1990年初頭に壮瞥町の民間事業者が「サンタ村」を町内に建設する構想を立て、本場フィンランドから公認を得るための調整中に、フィンランド政府から「フィンランドの何処かの自治体と壮瞥町との自治体交流を」との提案を受ける形で交流が始まった。サンタ村の建設は実現に至らなかったが、1993年に友好都市宣言の調印が行われ、町発祥の「雪合戦」の選手相互派遣交流、そして町内の中学生を在校中全員ケミヤルビ市に派遣する事業は現在まで継続している。特に生徒派遣事業では「小さな町でも子どもたちに夢を」の合言葉のもと、人材育成の一環で、2018年度までに654人の中学生をケミヤルビ市に町費で派遣しており、教員や引率者を含めると実に800人を超す町民がケミヤルヴィ市を訪れている。壮瞥町の人口が約2,500人なので、単純に計算すると町民の3分の1が過去にケミヤルヴィ市を訪問したことになる。

 

 派遣事業に参加したことがきっかけで、中学校卒業後の進学先としてケミヤルヴィ市内の高校を選んだ生徒が昨年誕生した。2016年中学校2年時に派遣事業に参加し、派遣中に留学の思いを強くした小田すみれさんだ。現在、派遣中のホームステイ先だったホストファミリーに身を寄せ、ケミヤルヴィ市の高校に通っている。今回のフィンランド訪問では小田さんに直接会うことはできなかったが、メールを通じて取材することができた。以下、一部掲載する。

 

小田さん(左)と高校の友達(右)。ルチア祭の衣装を着て。

 

―――どうしてケミヤルヴィ市の高校へ?

 小田さん―絶対にケミヤルヴィ市で学びたいと強く思ったのは2016年夏、14歳の時、壮瞥町のフィンランド国派遣事業で初めてこの国を訪れた時です。穏やかな人々、壮大な自然。ここでなら思いっきり学びたいことを存分学べると思いました。

 教育、福祉、男女平等、どこをとっても世界トップクラスのフィンランド。2018年、2019年連続で世界幸福度ランキング1位を獲得しています。国民が幸せだと感じるこの国で、現地の方と生活することによって、その「幸せの鍵」が見つかるかなと思ったのもこちらに来たかった理由の一つです。

 「中学卒業後にすぐ」という選択は、やりたいと思ったらすぐ取り掛かりたい性格なので。フィンランドの高校に進学したいと思った時から、日本の高校への進学は考えられませんでした。(笑)

 ただ今思い返すと、この選択は本当によかったなと思っています。この年齢で家族から離れて海外で暮らすことで、世界がとても広がりました。考え方にしても将来の夢にしても日本にいたら、また違っていると思います。

 

―――実際にケミヤルヴィ市の高校に行ってみて感想はどうですか?

 小田さん―フィンランドでは高校は3年で卒業すべきという考えもなく、3年半或いは4年かけてアルバイトや専門学校と両立しながら卒業する生徒もいます。授業は大学のように選択制で自分の興味のある分野を中心に学びます。現地の生徒も個人個人の個性を大切にする国の教育を誇りに思うと言っていました。また「エコで時代にあった学びを効率よく」という考えの基、電子化によるが進んでいます。私は教科書、ノート、試験、すべてパソコンを使用しています。

 他方でフィンランド人の友達から日本の教育も良いという話も聞きました。毎日のホームルーム、学校祭や部活等集団で過ごす時間が多い日本の学校に対して、ここではそのような活動がほとんどなく、クラスメート同志の繋がりが薄いように感じます。勉強だけでなく、人間関係、集団の中で生きていく事を学ぶ点は日本の学校教育の特徴なのかなと思います。

 フィンランドで生活するにあたり私にとっては言葉(フィンランド語)が一番大きな壁です。まだまだですが、フィンランド人同等の語学力を目指して頑張ります。

 授業料は基本小学校から大学まですべて税金で賄われています。

 

高校で行われたルチア祭。キリスト教の聖人聖ルチアの聖名祝日を祝う行事で、12月13日に行われる

 

―――お友達はできましたか?

 小田さん―はじめの2か月ほどは、フィンランド人も私もシャイでなかなか話しかけることができずにいましたが、今では一緒に遊んだり勉強したりできる友達もたくさんできました。

 滞在先はホームステイです。ホームステイすることは留学前から心待ちにしていたことの一つです。とても心温かい家庭で、私を優しく歓迎してくれました。クリスマスは家族と一緒に過ごす一年で最も大切な行事で、昨年のクリスマスにホストファミリーと時間を共有できたことは私の特別な宝物です。

 

 

―――ケミヤルヴィ市に日本人はほかにいますか?

 小田さん―以前は3人でしたが、現在ケミヤルヴィ市に住んでいる日本人は私一人だと思います。

 

 

―――勉強はいかがですか?

 小田さん―勉強は難しいです。言葉もあまり話せないまま渡航してしまったので、新しい言葉で新しいことを学ぶということに苦労しています。先生方が授業時間や放課後に補修の授業や私のために問題を用意してくださり、かろうじて授業についていくことができています。

 

 

―――お休みの日は何をしていますか?

 小田さん―最近は休みの日に、趣味の楽器演奏や料理をする時間が増えてきましたが、まだやはり勉強に費やす時間が多いです。冬季はクロスカントリースキーやスケート、寒中水泳も楽みました。クラスメートのお父さんが柔道の先生で、こちらに来て柔道もはじめました。

 

 

―――フィンランドと北海道、似ているところなど印象は?

 小田さん―まず、どちらも積雪寒冷地域ですね。フィンランド人によく、「すみれは日本から来たから雪を見るのは初めてでしょと?」と言われますが、雪遊びが大好きな道産子ですから。(笑) ただラップランドの寒さは、壮瞥町の寒さと比べ物にならなく、夏の8月に6度まで気温が下がることもあり、冬季はマイナス35度近くの低温を体験しました。そして日が沈まない白夜と日中でも薄明か、太陽が沈んだ状態の極夜があるのも大きな違いです。1日中暗い冬は嫌だという人が多いですが、私はこの時期も好きです。家の庭からオーロラを眺めるのは至福のひと時です。

 似ているところをもう一つ挙げるとするとは先住民族だと思います。ラップランド地域の先住民族であるサーミ族はアイヌ民族と歴史的にも似ているところがあり、アイヌ民族のことを知っているフィンランド人は多いように感じます。

 

ケミヤルヴィ市から見えるオーロラ。小田さん撮影。

 

―――ケミヤルヴィ市で壮瞥町に訪問したことがある人とお会いしましたか?

 小田さん―はい。以前壮瞥町でALT(英語補助教員)として勤務していた方や雪合戦の大会に参加した方、数年おきのケミヤルヴィ市の訪問団で壮瞥町に訪問した方々などにお会いしました。みんな歓迎してくださいました。

 またケミヤルヴィ市には「MENDOKUSAI-めんどくさい」というアマチュアのバンドがあります。親日家の若者で構成され、日本の曲も演奏しています。彼らは2度壮瞥を訪問しています。

 

 

―――ケミヤルヴィ市では雪合戦の大会は行われていますか?

 小田さん―はい。毎年4月の上旬にヨーロッパ選手権大会が開催されます。2年前に観に行きましたが、自分の故郷である壮瞥町発祥の雪合戦を何千キロも離れた国で、多くの人々が楽しんでいる姿を見て感動しました。スポーツに言葉は必要ありません。より多くの方に楽しんでいただければと思います。(今年は4月5日~7日に開催されました)ちなみに昨年は昭和新山国際雪合戦大会の第30回記念だったのでケミヤルヴィ市からのチームも壮瞥にやってきました。

 

ケミヤルヴィ市で行われた雪合戦

 

―――フィンランドの食事で好きなものは何ですか?また、日本の食事で懐かしいものは何ですか?

 小田さん―友達のお母さんは料理が得意で、彼女とおしゃべりをしながらフィンランド料理を作ることが好きです。特にクリスマスパイやサーモン・スープ、カレリア・パイが好きです。一方で、日本の食文化の奥深さ、多様さはこちらに来て深く実感しています。懐かしい食べ物はたくさんありますが、なかでもおばあちゃんの作る梅干しや栗ご飯が恋しいです。

 

 

―――フィンランドの高校生で流行っていること、日本の文化で注目されていることはありますか?

 小田さん―漫画やアニメ、ゲームは人気がありますね。アニメから日本語を覚えたという友人も数人います。また、面白いところではホストファザーは日本の文房具が大好きで愛用しています。

 

 

―――高校卒業後の進学は?

 小田さん―現時点では高校卒業後、フィンランドの大学への進学を考えています。将来は両国の建築を学び、フィンランドと日本をつなぐ建築士になるのが夢です。2019年の夏季休暇に一時帰国を予定しています。

 

 

秋の公園でくつろぐ小田さん

 

―――壮瞥町、北海道、日本の高校生にメッセージがあれば

 小田さん―今一番思うことは、なんでもやってみないと分からないということです。無理だと思わないで本気で夢を追いかけてみないと。私も中学1年生の頃まで、普通に道内の高校に進学して大学に進み、就職するものだと思っていました。それがあるときフィンランドという国に出会い、その2年後にその国の高校生になりました。実際にフィンランドの高校生になってみて、日本にいた頃の当たり前が覆される日々です。

 言葉も文化も違う国で生活することは、楽しいことだけではありませんが、どんなにきつくても、今ここで学べることに感謝でいっぱいです。今は、通学路の風景、友達からのメッセージ、一杯のココア…、日々の小さなことが美しく感じられ、しあわせで毎日のエネルギーになっています。いつ何がきっかけで人生がどう転がるかはわかりません。様々なことに挑戦することで扉が開けることもあるでしょう。何事も無理だと思わず、まず挑戦してみることが大切だと思います。

 もちろん、日本の高校でしか学べないこともたくさんあります。今を楽しんでください。一緒に頑張りましょう。

 

―――ありがとうございました

 小田さん―ありがとうございました。

 

※写真は全て小田さんから提供いただきました。

サマーコテージにて

◆【5】-2北方圏交流新時代―新千歳‐ヘルシンキ線就航に向けて――北海道とフィンランドの様々な交流――北海道フィンランド協会会長 井口光雄さん(HOPPOKEN誌165号・国際交流貢献者列伝から転載)

 

≪2.民間交流≫

 

 北海道とフィンランドの民間交流の礎はたった一人の人物の思いによって築かれたといっても過言ではない。その人物が北海道フィンランド協会会長の井口光雄氏だ。実際、今回の取材でも井口さんにアドバイスをたくさんいただいたし、現地で会う人会う人に「Mikko(井口さんのフィンランドでのあだ名)は元気か?」と尋ねられた。井口さんとフィンランドのなれ初めなどについてハイエック吉村慎司研究員(現・客員研究員)がHOPPOKEN誌165号(2013年・秋号)に書いた記事がある。井口さんを知るには最も優れた資料だと思っており、以下記事を転載する。

 

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【HOPPOKEN165号 国際交流貢献者列伝―北海道フィンランド協会会長 井口 光雄】

ハイエック研究員 吉村 慎司

 

 新たな連載となる本シリーズでは、北海道の国際交流に貢献してきた民間人の功績を記すこととする。初回は、北海道フィンランド協会の井口光雄会長(79)を紹介する。

 

 

 「来秋、知事にフィンランドへ行ってもらいたいのですが」。1974年の秋、道庁の一室で井口光雄氏は知事室長と向き合っていた。まだフィンランドとの交流団体が存在しないころである。当時の井口氏は、映像制作会社を立ち上げて3年目の、一民間企業経営者だった。

 実現しようとしたのは,翌秋ヘルシンキで開かれる「フィンランド日本協会」の創立40周年記念式典に、北海道の代表として堂垣内尚弘知事に出席してもらうことだ。この協会は第二次世界大戦前、日本渡航経験のある宣教師グループや貿易業者らがつくった民間交流団体だった。実は73年に、この団体が受け入れ窓口となって、北海道内の青年視察団がフィンランドでのホームステイを体験していたのである。井口氏は会社経営と並行して、この青年視察を企画した松坂科学文化振興財団(現在の財団法人北海道青少年科学文化財団)の理事を務めていた。

 

 

日本でフィンランド野球「ペサパッロ」の愛好家を増やし、ワールドカップにも出場した(1992年、ヘルシンキ)

 

 青年視察のやりとりの中で、協会側から、40周年式典に道内の要人を招きたいとの打診を受けていた。折しも北海道は堂垣内知事の旗振りで、北欧など寒冷地の暮らしを学びながら相互の社会を発展させようとする「北方圏構想」を打ち出している。フィンランドとの交流は大いに構想の趣旨に沿う。両地域の結びつきを太くする絶好のチャンスと考えた井口氏らは人脈を辿って道庁に働きかけ、知事室長との面談にこぎつけた。

 後日、知事室から井口氏の元に連絡が入る。「知事は渡航に前向きだ。だが来年の話でもあり、調整をさせて欲しい」。翌75年の春になって、渡航が正式に決まった。フタを開けてみれば知事は南米の北海道人会を訪ねる用事もあり、南米から北欧に飛ぶという異例の行程だった。

 そして9月10日、知事はノルウェーを経て、現地時間の夕刻にヘルシンキ空港に降り立った。先に現地入りしていた井口氏は、関係者とともに空港で知事を出迎えた。「奥様を連れて到着した堂垣内知事の顔を見て、こんなに遠い北の国まで本当に来てくれたんだと胸が熱くなりました。仲間内では、冗談半分ですが本当に大丈夫なのかと言い合っていたくらいでしたから」と振り返る。

     ◇

 井口氏が初めてフィンランドに関心を持ったのは、北海道放送(HBC)グループで記者として働いていた1968年、フランス・グルノーブルで開かれた冬季オリンピックの取材を通してだった。系列のJNN取材チームの一員として現地に渡航。このとき北欧には行っていないが、ノルディックスキーなど主要種目で強豪選手がいることで、フィンランドの存在が強く印象に残った。翌69年、別のテーマで欧州を取材した際にヘルシンキに立ち寄ったのがフィンランドへの初入国となった。

 縁はここで終わらなかった。70年の大阪万博で、北欧5カ国が共同で「スカンジナビア館」を設置。万博が終わった後、不動産会社経営の松坂有祐氏を中心に道内の数社が協力してこのパビリオンを石狩市(当時は石狩町)に移設することになった。このときにHBC内で担当者として白羽の矢が当たったのが、井口氏である。

 フィンランドとの交流に本格的に取り組むようになったのは、文化振興財団の理事として、青年視察団の北欧派遣を企画したのがきっかけだった。自らペンを取って北欧諸国の主要市に手紙を書き、唯一返事が来たのが、フィンランドだった。ヘルシンキ市宛で出したが、返信者の名前はフィンランド日本協会となっている。協会の存在を知ったのはそれが初めてだった。協会が受け入れ団体として全面的に協力してくれたおかげで、73年10月、40人の若者を連れて行くことができた。「ほかの国にも寄りましたが、フィンランドはホストファミリーを始め大勢が空港で出迎えてくれるなど、ほかとは対応が違いました。参加者の多くが、フィンランドに好印象を持ったと思います」。ここでできた現地の人との関係が、2年後に知事を動かすことになる。

 

道内の青年約40人を連れて訪れたヘルシンキ(1973年)

 

    ◇

 井口氏の人脈と行動力が、対フィンランド交流を発展させたのは誰もが認めるところだ。井口氏は1934年に東京・神田で生まれた。育ったのは疎開先の新潟で、県内の高校から北大に進学する。恵迪寮で生活した教養部時代、「周囲におだてられて」自治会委員長に立候補し当選。卒業後はニュースを取材するHBC子会社に入り、札幌や旭川で記者、ディレクターとして活動した。

 72年に独立し、映像や展示物の製作を手がける会社「現代ビューロー」を立ち上げる。経営者として、アイヌ民族博物館や札幌市青少年科学館の展示空間を始めとする数々の実績をつくる一方で、文化振興財団をベースに対北欧交流の活動も展開。「当時は北方圏構想が非常に盛んに語られていた時期で、私は伊藤隆一先生や辻井達一先生たちの後ろにくっついていただけ」という自己評価とは別に、民間交流のキーマンとなっていった。

        ◇

 堂垣内知事のフィンランド訪問により、いくつかの流れが生まれた。一つは札幌医科大学とヘルシンキ大学医学部の研究交流である。知事が学長との面談時に提案。青少年訪問団受け入れのスポンサーになったパウロ財団もバックアップし、77年に提携が実現する。40年近く経つ今も、研究者の交流が続いている。

 もう一つがクロスカントリースキーを日本に紹介することだった。今村源吉・道教大教授の取り計らいもあって、グリーンランドを横断した探検家でもある競技指導者エリキ・ピヒカラ氏を、ヘルシンキで知事に紹介した。知事はスキー愛好者でもあり、「歩くスキー」を道民に広めることに強い興味を示した。その場で、道としてピヒカラ氏を招聘することになり、これは半年後に実現することになった。

 

グスタフソン駐日大使とともに「歩くスキー」を楽しむ(2011年、札幌)

 

 さらに、交流団体の設立も知事訪問が直接の契機になった。フィンランドに日本協会があるのに、北海道にはそれに相当する団体がない。事実上知事に促される格好で、76年10月に北海道フィンランド協会が発足する。井口氏は当初理事だったが、79年に専務理事に就任。2007年から現在まで会長を務めている。フィンランド野球「ペッサパロ」の普及活動、先住民族であるサーミ民族とアイヌ民族の交流事業など、フィンランド協会のこれまでの実績は数知れない。発足翌年から始まったフィンランド語講座は途中2年を除いて毎年開かれており、近年では安定的に50人前後が参加している。

 

アイヌ彫刻でつくったサンタクロースの人形を、「サンタ村」のロバニエ市にプレゼント(1986年)

    ◇

 「皆さんは7人の侍です」。今年5月、井口氏は北海道フィンランド協会の事務室で、集まった7人の理事に語りかけた。交流の顔として活躍を続けてきた井口氏だが、70代も最後の1年に入る。3年後には協会は40周年を迎える。いつまでも〝井口のフィンランド協会〟ではいけないと、組織の運営体制を思い切って変えることにした。各理事の役割を明確にし、これからやるべきことを話し合った。「そうすると、皆やる気を持って動いてくれるようになりました。もっと早くこうすればよかった」。フィンランドと北海道の交流を担う後継者が、続々と出てくるに違いない。

 

エゾヤマザクラをフィンランドに植える取り組みを続けている。左端は横山名誉領事(2012年、ヘルシンキ)

 

 

◆【5】-3北方圏交流新時代―新千歳‐ヘルシンキ線就航に向けて  北海道とフィンランドの様々な交流 3.学術交流

 

≪学術交流≫

 フィンランドの大学と学術連携している北海道の大学は複数存在する。一例をあげると北海道大学が2012年からヘルシンキ大学内に欧州ヘルシンキオフィスを設置し、ヘルシンキ大学、オウル大学、ラップランド大学、アールト大学、トゥルク大学、東フィンランド大学と大学間の連携協定を結んでいる。東海大学札幌キャンパスの国際文化学部地域創造学科は北欧・北方圏研究の専門を置き、ラップランド大学との共同研究を進めてきた。星槎道都大学もラップランド大学と1997年に姉妹校提携を結び交流が盛んだ。そんな中でフィンランドの大学間連携で最も歴史が古く、先駆的な学術交流を進めてきたのは札幌医科大学であろう。

 

 札幌医科大学は様々な国の大学と国際学術協定を結び、国際的に医学の研究を進めてきている。その中でも一番早くに交流協定を結んだのが、ヘルシンキ大学とのもので、その歴史は1975年にさかのぼる。堂垣内知事(当時)が北欧諸国を歴訪した際にヘルシンキ大学と札幌医科大学間での研究者交換など学術交流を進めてゆきたい旨話し合いが行われ、当時のヘルシンキ大学長と意気投合した。知事との話し合いがきっかけとなり1977年に札幌医科大学渡邉左武郎学長がヘルシンキ大学を訪問し、研究者交流に関する確認書をヘルシンキ大学エル・アンスト・パルメン学長と交換。翌年から両校の研究者がそれぞれの大学に相互派遣され始めた。1982年にはより学際的な研究をということでヘルシンキ大学に加え、トゥルク大学、オウル大学、タンペレ大学、クオピオ大学に交流校を広げた。その際に各校と提携を結ぶ方法ではなく、それら大学に国際的な学術交流を目的に資金を助成する財団と札医大が医学交流協定書を取り交わし、各大学との研究者相互派遣を行ってきた。2019年までに札幌医科大学からは41人の研究者をフィンランドに送り込み、ほぼ同数の研究者をフィンランド側から受け入れている。そのカウンターパートとなっている財団が、今回取材したパウロ財団である。

昭和54年に堂垣内知事(当時)よりパウロ財団に贈られた感謝状。(写真提供:パウロ財団)

 パウロ財団はヘルシンキのカタヤノッカという港湾地域でフィンランド独立直後からロシア料理店を営み、海運景気の波に乗り一財を築いた富豪、エストニア出身のレコ・パウロの妻ホゥルダの遺言により設立された、主に医学と芸術を助成する財団組織。現在は年間予算の50㌫を医学に、経済学、芸術にそれぞれ25㌫ずつ配分し、若手の研究者や芸術家の育成を行っている。財団は1986年から40年近くハイエックの法人会員でもあり、今回長年の会員であることを表彰し感謝状をお送りした。

 

札幌医科大学から送られた感謝状も飾られている(写真提供:パウロ財団)

 

 今回の取材でパウロ財団リスト・レンコネン理事長にお話を伺うことができた。パウロ財団理事長職はヘルシンキ大学医学部長が兼任する名誉職で、取材はヘルシンキ郊外の大きなメディカルタウンの一角にあるヘルシンキ大学医学部長室で行った。

 

HIECCからの感謝状を手にするレンコネン理事長

 

―――理事長になられてどのくらい経ちますか?

 レンコネン理事長―1月にヘルシンキ大学学部長になったばかりなので、まだ3カ月しか経っていない。

 

―――ご専門は何ですか?

 レンコネン理事長―糖鎖生物学という領域。一般的には余りなじみがない比較的新しい科学的専門分野だ。新種の薬品開発の基礎になる研究と云えばわかりやすいか。

 

―――ここは医学部研究棟ですが、この区画一帯がヘルシンキ大医学部関連の建物なのですね。学部長室を探すのが大変でした。

 レンコネン理事長―ハハハ。よくここまでたどり着けたね。ヘルシンキ大学は多くの学部が別々のキャンパスに分かれており、ここ医学部があるMeilahtiキャンパスには、大学病院、基礎研究棟、応用研究棟などがある。基礎と臨床をつなぐ研究を戦略的に推進するため研究施設の新設とコアファシリティーの充実化を継続的に行ってきた結果町の一角がメディカルタウンになってしまった。

 

レンコネン学部長室から眺める施設。多くの施設がまだ建設中である。

 

―――今年の初めにヘルシンキ大学の研究者が札幌医科大学にひと月ほど派遣されていたことをお聞きしました。

 レンコネン理事長―Dr. Teppo Variloだね。遺伝性疾患の専門家だ。札幌では遺伝性疾患の地域や国による差異についてFinnish Disease Heritage-a lesson from monogenic diseases in an isolated populationという講演を行ったと聞いている。札幌医科大学とヘルシンキ大を含むフィンランド内の大学医学部で行われている、相互間の研究員派遣事業は非常に有意義な取り組みだと思っている。フィンランドからもこれまでに40人近い研究者が札幌医科大学に研修に行っているはずだ。

 

―――パウロ財団は1986年来のハイエックの法人会員です。長きにわたり会員でいていただき、どうもありがとうございます。

 レンコネン理事長―私も知らなかったが、貴団体とは長いお付き合いになる。恐らくは札幌医科大学とヘルシンキ大学医学部の交流が先に始まり、パウロ財団が医学の研究に助成していたことから、交流自体を後押しすることになったのだろう。パウロ財団はフィンランド人研究員の札幌への渡航費を助成、札幌医科大学は滞在中のフィンランド人研究員の滞在先を確保するという取り決めになっている。札幌医科大学からフィンランドの大学に研究員を受入れる際は、われわれが日本人研究員の滞在費を助成している。当初は大学間で直接派遣していたが、それだとヘルシンキ大学とだけの交流になってしまう。フィンランドの他の大学も札幌医科大学との研究員交流をしたいという声を反映し、財団が札幌医科大学と協定を結ぶ形を取り、財団に登録されている大学と札医大の相互交流を可能にしている。パウロ財団は医学振興が主たる目的の財団であるので、医学研究を行うヘルシンキ大学以外の大学にも助成している。

 

―――形式的で恐縮ですが、長年の会員であることを表彰させていただきまして、感謝状をお持ちしました。

 レンコネン理事長―ハハハ。それは光栄だ。学部長室に飾っておくよ。1979年には堂垣内知事、札幌医科大学学長からもこれまでに何度か感謝状を頂いている。今までHIECCの会員を続けてきたし、これからも長いお付き合いになるだろう。

 

―――パウロ財団の成り立ちを教えてください

 レンコネン理事長―この財団はレコ・パウロの妻ホゥルダの遺言に基づき設立された。パウロは1891年にエストニアで生まれ、後にヘルシンキの港町カタヤノッカにロシア・レストランを始めた。店は大層流行り、パウロとホゥルダは大きな財産を築いた。篤志家であった妻の遺言で、財団が設立され主に医学と芸術振興に基金が有効に活用されている。札幌医科大学との連携は財団の特徴的で歴史的な取り組みの一つだ。

 

―――医学の他では芸術分野を助成しているのですね

 レンコネン理事長―そう。若手芸術家、特に音楽の分野ではいろいろな事業を行っている。最も広く知られている取り組みはパウロ国際チェロコンクールだろう。若手チェロ演奏家の登竜門として知られ、毎年世界中から将来有望のチェリストがヘルシンキに集まってくる。昨年はBrannon Choというアメリカ人が優勝し、彼は最近アメリカのカーネギーホールを満席にさせ話題をさらっていた。

 

―――お忙しいところ、ありがとうございました。

 レンコネン理事長―ありがとう。因みにパウロのレストランはBellevueといって、まだカタヤノッカにある。少々お高いが味はいいので行ってみるといい。

 

アールデコ調の建物一階に店を構えるBellevue

 

 取材当日の夕方にBellevueレストランを訪れた。レストランは観光名所でもある北欧最大のロシア正教会聖堂の裏手にあり、新古典主義建築が立ち並ぶカタヤノッカ地区にある高級住宅街の一角に佇む。店内に入り、仕立ての良い背広姿の男性陣とイブニングドレスに身を包む淑女たちの宴席の横に案内され、ワインとボルシチをオーダーした。薄暗い店内は歴史を感じる調度品で飾られ、重厚感が漂っている。

 ウェイトレスの女性に「ここはパウロ財団のパウロさんがオーナーだったとお聞きしました。パウロさんの写真はありますか?」と尋ねた。スウェット姿の東洋人の珍客に奇異の目を浴びせることもなく、その女性はとても丁寧に対応してくれ「これは3年前に発行されたパウロ財団50周年記念誌です。ここにパウロと妻ホゥルダの写真があるはずだわ」と冊子を手渡してくれた。

 

パウロ財団50周年記念誌

 

記念誌に掲載されたパウロ一族写真。中央がパウロ氏、右横に妻ホゥルダの姿もある。

 

札幌医科大学との交流特集ページ

 

記念誌には札幌医科大学との交流の歴史に2ページが割かれている。

 

財団理事紹介ページ。左端が当時副理事長のレンコネン氏

 

 パウロ財団が自分が所属する団体の長年の会員であることから、先ほどレンコネン理事長に感謝状を届けたことを伝え、少し会話した。女性は「Bellevueは由緒あるレストランで、パウロ財団関係者をはじめ財界、政界のビッグショット(大物)もよく利用すること、日本には行ったことがないけれどヘルシンキで寿司はよく食べ、美味しいと思っていること」など、他愛もない話を聞かせてくれた。

 

多少お値段は張ったが、とてもおいしかったボルシチとワイン

 

 ほどなくテーブルに届いたボルシチは本場の黒パンと小さなピロシキとたっぷりのサワークリームが添えられていた。30年以上会員でいてくれる財団創始者パウロさんに思いを馳せながら、ジョージア(グルジア)のワインと一緒に美味しくいただいた。

 

「足で稼ぐIT企業」 ロシアNo.1のネット地図サービス2GIS社

調査研究部研究員 吉村慎司

 

 インターネットの地図サービスといえば日本では米国発のグーグルマップが代表格だろう。だがロシアには、グーグルでさえもその牙城を崩せない超定番がある。「2GIS」(ツージーアイエス)という、同名のIT企業によるサービスだ。スマホの地図アプリダウンロード数では常に国内首位。ロシアのネット利用者のほとんど全員が知っているといっても過言ではない。

 

 人気の秘訣は、情報の多さと新しさにある。例えば地図上の大型商業施設をクリックすれば、各階のフロア地図と個々の店舗情報が出てくる。オフィスビルなら、入居企業の一覧はもちろん、それぞれの連絡先もわかる。また、訪問先が入居している建物に複数の入口がある場合、どこから入るべきかまで教えてくれる。もし急に何か商品が必要になったときには、アプリに商品名を入力すれば、近くの取扱店、その店が今営業しているかどうかなどが表示される。

 

2GISの画面(PCブラウザ)

 

 

 驚かされるのは、こうした細かな情報が毎月更新されることだ。閉鎖した店なら翌月にはもう表示されなくなる。ロシア人が「ほかの地図サービスは情報が少なくて古いから2GISばかり使っている」と話すのを聞いたのは1度や2度ではない。

 

 これほどの情報収集を可能にするITテクノロジーとは一体どんなものか。2017年12月、シベリア地方・ノボシビルスク市にある2GIS本社でアレクサンドル・シソエフ社長(53)にインタビューする機会を得て、直接聞いてみた。するとあっさり教えてもらえた。まず、ネットで公開されている街情報を分析して地図に取り込むのは当然のこと。それに加えて同社の調査スタッフが絶えず街を歩き、自分の目で現状を確認しているのだという。見た目でわからない企業情報や店舗情報は、本社の専任チームが企業に直接電話をかけて照会する。人の力だったのだ。

 

アレクサンドル・シソエフ社長

 

 本社内でのデータ確認作業の一部を見せてもらった。20代前半に見える男性スタッフが、車載カメラ映像に写る道の様子を見ながら、地図上の信号機の位置、横断歩道の有無などを点検している。同じ階のコールセンターでは、数十人の女性職員がロシア中の企業と会話していた。シソエフ社長は「当社が最も重要視しているのは情報の正確さです。これは言ってみれば宗教みたいなもの」と話す。

 

 2GISは国内に計104の拠点を構え、ロシア全土の主要都市をカバーする。このほか中央アジア諸国や欧州、中東の一部に展開しており、2017年秋時点のサービス対象エリアは計9カ国の338都市におよぶ。全従業員は4000人を超え、平均年齢は26才という。案内された本社オフィスは、若いIT企業らしく壁や机回りに遊び心があふれる飾り付けが見られ、活気に満ちていた。どのフロアも白を基調にした清潔感ある空間が広がり、休憩室や喫茶コーナーも充実している。筆者と一緒に訪問した札幌のIT企業経営者は、「以前視察した米国シリコンバレーの企業にもまったく引けをとらない」と驚いていた。

 

 

自由に飾り付けされた職場

 

本社内のカフェコーナー

 

 

 2GISの立ち上げは1999年にさかのぼる。地元・ノボシビルスク工科大学を卒業したシソエフ氏は90年代、シベリアの電話会社のシステム開発にエンジニアとして携わり、職員向けのデジタル地図をつくっていた。デジタル化した地図はとても便利だったが、見られるのはあくまで職員のみ。広く一般の人にも使ってもらえるデジタル地図を個人でつくろうと考えたシソエフ氏は、ネットが普及していない当時、CD-ROMに地図データを焼いて使用ライセンスを販売した。

 

 珍しさもあって販売先は順調に増え、そのうちあることに気付く。多くのユーザーが、地図上の建物にどんな企業が入っているのか知りたがっていた。ならば地図と電話帳を融合させたサービスをつくれば解決できるのでは、と考えて1998年に試作したのが現サービスの原型だった。ネット地図をベースにした街情報提供サービスと言ってもいいだろう。翌99年1月、2GISのブランド名を付けて仲間とともに事業をスタートした。

 

2GIS本社の総合受付

 

なぜか大阪城の模型が飾られていた

 

 サービスはすべての人に無料開放する。利用者が見る画面に広告を表示することで、企業から広告料収入を得るのが主たるビジネスモデルだ。情報の正確さゆえにサービス利用者は伸び続け、2017年秋時点のユーザー数は3500万人強に達している。同社の分析によれば1人平均で毎月35回2GISで調べ物をしているといい、ヘビーユーザーの多さをうかがわせる。最近ではユーザーの検索履歴などをビッグデータにして業者向けに販売しており、これも急成長している。2GISの2017年の総売上高は、前年比で約15%増えた模様だ。

 

 ここまで成功したなら、普通は首都モスクワに本社を移すものではないのか。なぜシベリアに留まっているのか。そう聞くとシソエフ氏は淡々と答えた。「我々のビジネスには政治や中央官庁とのつながりはいらないんです。人材豊富なこの地を去る理由はありません」。むろんモスクワにも支社があって全国CM展開などはそこを拠点にやっているが、それだけのことだという。地元ノボシビルスク市は国際的知名度こそ高くないものの、人口160万人とロシア第3の都市。市内には「アカデムゴロドク」と呼ばれる国内屈指の学術研究の街があり、理系トップレベルとされるノボシビルスク国立大学を筆頭に教育機関も多く、確かに人材に不自由しない。

 

 2GISのあり方は、日本の地方企業にとっても参考になるのではないだろうか。

 

(了)

 

※2018年1月7日付北海道新聞朝刊経済面「寒風温風」記事をベースに大幅加筆しました。

2018ジャパンベトナムフェスティ バル

1月28日(土)・29日(日)

ジャパン・ベトナム・フェスティバル2018が1月27日(土)、28日(日)の2日間に渡り、ホーチミン市内の9月23日公園にて開催された。メインアトラクションとなるセンターステージでの日越両国のパフォーマンスに加え、官民合わせて58団体のブースがステージを囲む形で設置された。各ブースは3分野にゾーニングされ、企業PRゾーンには日本貿易振興機構(JETRO)のほか、清水建設株式会社、ハウス食品㈱、ミズノ、アシックスなど23企業・団体、日本文化紹介ゾーンには紀伊国屋書店、㈱プシロード、新潟市など7つのブース、観光PRゾーンには日本政府観光局(JNTO)、近畿日本ツーリスト、東北観光推進機構、鹿児島県商工会連合会など28団体が出展し、日越間の交流人口の増加、商品の売り込みなど、様々な角度からの日本のPRを行った。

 

メインゲートの様子

 

9月23日公園内の池を囲むようにブースが設置された

 

企業ブース:ヤクルト。ベトナムで人気とのこと

 

企業ブース:ツクイ。介護事業の紹介をしていた

 

企業ブース:オージーケー技研㈱。自転車用チャイルドシートの製品紹介を行っていた

 

企業ブース:EIKODOベトナム。お菓子の販促を行っていた

 

企業ブース:農水省は日本の水産品のPRをメインに行っていた

 

企業ブース:在ホーチミン日本国領事館。在ベトナムで活動するパッケージクラフトアーチストの紹介などを行っていた

 

日本文化紹介ブースの漫画フェスティバルブースには高校生、大学生の来訪が絶えなかった

 

日本文化紹介ブース:両日ともコスプレ姿で来場するベトナムの若者が多かった

 

協賛社名入り提灯も飾られた

 

メインゲートに設置された会場案内図

 

企業ブース:カラオケの第一興商のミニステージではアマチュアカラオケ大会が開催された

 

北海道からは北海道庁を始め北海道観光振興機構、旭川市、釧路商工会議所、根室市アジア圏輸出促進協議会、北海道商工会議所連合会、近畿日本ツーリスト協定旅館ホテル連盟北海道ひまわり会の7団体が観光ゾーンにブースを構えた。そのほか㈱コンサドーレが日本貿易振興機構(JETRO)が主催するスポーツ体験エリアにて、ベトナムの子どもたち向けにサッカー指導等を行った。北海道関係ブースはひと塊のエリアに軒を連ねたが、常に多くの人がブースに引き寄せられていた。ハイエックは北海道庁国際経済室が設置したブースで主に留学生の勧誘を行った。

 

観光PRゾーン:北海道庁は道内大学のPRを行い、多くの大学生がブースを訪れた

 

観光PRゾーン:北海道庁もう一つのブースはクールジャパン北海道と釧路市のミルキークラウン乳業㈱のコラボレーションで道産牛乳を使用したソフトクリームを販売した

 

観光PRゾーン:旭川市は観光PRの一環でインスタグラム用に特注した枠と一緒に写真を撮り、来客者が写真をアップロードすると記念品を贈呈していた

 

観光PRゾーン:近畿日本ツーリスト協定旅館ホテル連盟北海道ひまわり会は個別のホテルをPRするのではなく、北海道の魅力を伝えていた。写真は左から浜野清正会長(㈱萬世閣代表取締役社長)、武部実行委員長、㈱近畿日本ツーリスト北海道・谷口哲也代表取締役社長

 

観光PRゾーン:釧路商工会議所はサバの一夜干しを焼いて試食提供していた

 

観光ゾーン:北海道商工会議所連合会。会員の商品等の案内を行っていた

 

スポーツ体験エリアではコンサドーレのコーチがべと子供を対象にサッカースクールを行っていた

 

観光PRブース:福島県のブースでは鎧兜を着させ、写真を撮るサービスに行列ができていた

 

観光PRブース:自治体のブースではくじ引きなど体験型のブースが人気だった

 

観光PRブース:JTBはVRを活用し、日本の美しい風景を紹介していた

 

ブース展示のほか大ステージが設置され日本からは千昌夫、W‐inds.などアジア地域で人気の高いアーティスト、ベトナムからは現地の人気歌手でJNTOのビジットジャパンアンバサダーin ベトナムのヌー・フック・ティンらがパフォーマンスを披露した。また、会場内にはフードスタンドが設置され、お祭りの雰囲気を盛り上げていた。両日とも日本の盆踊りでフィナーレを迎えた。

 

小塚崇彦元オリンピック・フィギアスケート選手は「スケートリンクからアジアをリンク」を合言葉にアイススポーツの普及宣伝を行った

 

農水省によりベトナムにおける日本食材サポーターの表彰があり、北海道からベトナムで根室のサンマを含む水産物を提供している「北海道 幸」が選ばれた

 

東日本大震災復興支援アイドル「オリヒメ隊」のステージでは・・

 

ベトナムオタ芸隊がステージを盛り上げていた

 

山形県のローカル演歌歌手、奥山えいじさんは「演歌は日本の心です」と歌唱力で観客を魅了した

 

千昌夫さんは「北国の春」を披露し、喝さいを浴びていた

 

W-inds.のパフォーマンスには黄色い声援が飛び交った

 

会場の盛り上がりはベトナムのジャスティン・ビーバーといわれるドン・ニーの登場で最高潮に達した。JNTOがドンを起用し制作した日本観光のプロモーションビデオとともにステージが繰り広げられた

 

両日ともパフォーマンスは日越友好盆踊り大会で終了した

 

会場にはベトナム料理の屋台が多く並んだ

 

BBQや

 

串焼きや

 

ベトナムならではのエキゾチックな料理も人気だった

 

前日の開会式で武部実行委員長が懸念していたように、27日のU23アジア大会(サッカー)決勝戦の時間帯は会場の来客者数が激減したものの、それ以外の時間帯は多くの来場者で会場がにぎわった。

27日にはJVF会場近くでパブリックビューイング会場が設置された

 

日が暮れると、会場そばの道路はサッカー試合後の熱気が冷めやらぬ若者たちであふれた

 

本事業の概要についてはHOPPOKEN誌182号(春号)でご紹介させていただく予定。紙幅の関係上写真掲載数が限られるため、ホームページ上で写真を多く紹介させていただくこととした。

2018ジャパンベトナムフェスティ バル開会式・レセプションの模様

1月27日(金)

 

「2018ジャパンベトナムフェスティ バル≪実行委員長‐‐‐ 武部勤・日越友好議員連盟 特別顧問/トー・フィ・ルア・越日友好議員連盟会長≫(以下JVF)」が、1月28日(土)、29(日)ホーチミン市で開催されるのに先立ち、27日(金)の夕方に開会式とレセプションがニュー・ワールドホテル(ホーチミン市)にて行われた。日本側から、武部実行委員長のほか中根一幸・外務副大臣、林幹雄・自民党幹事長代理、松浪健四郎・学校法人日本体育大学理事長、梅田邦夫・ 駐ベトナム社会主義共和国日本国特命全権大使、河上(かわうえ)淳一・在ホーチミン日本国総領事、ベトナム側からトー・フィー・ルア実行委員長に加えチュオン・タン・サン前国家主席、グェン・クオック・クオン駐日ベトナム大使を始め多数の要人が顔をそろえた。北海道からは窪田毅副知事、堀内一宏北海道ASEAN事務所長(在シンガポール)などが参加した。

武部勤実行委員長

 

トー・フィ・ルア実行委員長

 

両実行委員長

 

開会式で武部氏は「2018年は日本とベトナムが正式に外交関係を樹立してから45周年という節目の年です。今年のテーマ「手と手をとって」(Cùng nắm chặt tay nhau)を合言葉に、相互に伝統・文化を理解し、観光・物産・先端技術の紹介や、スポーツ分野での交流など両国の国交をさらに深める交流イベントとして盛り上げていきたいと思っています」とあいさつし「ただし、明日はベトナムがサッカーU23アジア選手権の決勝に駒を進めたので、是非勝っていただきたいと思う反面、試合時間(午後3時~5時ころ)中、来場者が激減する不安もあります。ともあれ主催者としてはJVFを最大限に盛り上げていきたいと思いますので、是非皆さまのご協力を賜りたいと思います」と話し会場から笑いと拍手を誘っていた。

 

開会式キック・オフのテープカット

 

乾杯の音頭をとる中根一幸・外務副大臣

 

窪田毅北海道副知事(中央)と堀内一宏北海道ASEAN事務所長(右)と金子徳之ハイエック管理課長(左)

 

引き続いて中根一幸・外務副大臣の乾杯の音頭でレセプションが始まると、参加者は用意されていた料理を楽しんだ。日越両国の料理が供され、サンマの塩焼きや、和牛のローストビーフなどすでに日本からベトナムに輸出されている原材料を用いて調理されたメニューもテーブルに並んでいた。一番の盛り上がりを見せたのは、大阪の水産物小売り店・回転ずし店を手掛ける大起水産株式会社のマグロ解体ショーで、同社の職人がステージで48kgのインド洋産マグロを解体を始めると、大きな歓声が上がった。解体されたマグロはその場で寿司としてふるまわれ、両国の参加者はさばきたての新鮮なマグロ寿司を一口食べようと、大起水産のテーブルを囲んでいた。

 

会場を沸かせたマグロ解体ショー

 

解体後のマグロは寿司としてふるまわれた

スポーツ交流推進役として昨年度からJVFにかかわっている、元フィギアスケート・オリンピック選手の小塚崇彦氏も来場し登壇。「日本とベトナムのスポーツ交流を盛り上げてゆきたい」とあいさつしたあと、会場のあちこちから声がかかり、写真撮影に忙しい様子だった。河上淳一・在ホーチミン日本国総領事の「明日から2日間、日越間の友情をますます深める機会にしてゆきましょう」との締めの乾杯でレセプションが終了し、26日のプレ・イベントプログラムがすべて終了した。

 

 

 

小塚崇彦氏

 

左からハイエック金子課長、小塚氏、通訳、人材会社CEOのファット トリエン氏

 

 

 

 

 

 

 


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