事業報告

「足で稼ぐIT企業」 ロシアNo.1のネット地図サービス2GIS社

調査研究部研究員 吉村慎司

 

 インターネットの地図サービスといえば日本では米国発のグーグルマップが代表格だろう。だがロシアには、グーグルでさえもその牙城を崩せない超定番がある。「2GIS」(ツージーアイエス)という、同名のIT企業によるサービスだ。スマホの地図アプリダウンロード数では常に国内首位。ロシアのネット利用者のほとんど全員が知っているといっても過言ではない。

 

 人気の秘訣は、情報の多さと新しさにある。例えば地図上の大型商業施設をクリックすれば、各階のフロア地図と個々の店舗情報が出てくる。オフィスビルなら、入居企業の一覧はもちろん、それぞれの連絡先もわかる。また、訪問先が入居している建物に複数の入口がある場合、どこから入るべきかまで教えてくれる。もし急に何か商品が必要になったときには、アプリに商品名を入力すれば、近くの取扱店、その店が今営業しているかどうかなどが表示される。

 

2GISの画面(PCブラウザ)

 

 

 驚かされるのは、こうした細かな情報が毎月更新されることだ。閉鎖した店なら翌月にはもう表示されなくなる。ロシア人が「ほかの地図サービスは情報が少なくて古いから2GISばかり使っている」と話すのを聞いたのは1度や2度ではない。

 

 これほどの情報収集を可能にするITテクノロジーとは一体どんなものか。2017年12月、シベリア地方・ノボシビルスク市にある2GIS本社でアレクサンドル・シソエフ社長(53)にインタビューする機会を得て、直接聞いてみた。するとあっさり教えてもらえた。まず、ネットで公開されている街情報を分析して地図に取り込むのは当然のこと。それに加えて同社の調査スタッフが絶えず街を歩き、自分の目で現状を確認しているのだという。見た目でわからない企業情報や店舗情報は、本社の専任チームが企業に直接電話をかけて照会する。人の力だったのだ。

 

アレクサンドル・シソエフ社長

 

 本社内でのデータ確認作業の一部を見せてもらった。20代前半に見える男性スタッフが、車載カメラ映像に写る道の様子を見ながら、地図上の信号機の位置、横断歩道の有無などを点検している。同じ階のコールセンターでは、数十人の女性職員がロシア中の企業と会話していた。シソエフ社長は「当社が最も重要視しているのは情報の正確さです。これは言ってみれば宗教みたいなもの」と話す。

 

 2GISは国内に計104の拠点を構え、ロシア全土の主要都市をカバーする。このほか中央アジア諸国や欧州、中東の一部に展開しており、2017年秋時点のサービス対象エリアは計9カ国の338都市におよぶ。全従業員は4000人を超え、平均年齢は26才という。案内された本社オフィスは、若いIT企業らしく壁や机回りに遊び心があふれる飾り付けが見られ、活気に満ちていた。どのフロアも白を基調にした清潔感ある空間が広がり、休憩室や喫茶コーナーも充実している。筆者と一緒に訪問した札幌のIT企業経営者は、「以前視察した米国シリコンバレーの企業にもまったく引けをとらない」と驚いていた。

 

 

自由に飾り付けされた職場

 

本社内のカフェコーナー

 

 

 2GISの立ち上げは1999年にさかのぼる。地元・ノボシビルスク工科大学を卒業したシソエフ氏は90年代、シベリアの電話会社のシステム開発にエンジニアとして携わり、職員向けのデジタル地図をつくっていた。デジタル化した地図はとても便利だったが、見られるのはあくまで職員のみ。広く一般の人にも使ってもらえるデジタル地図を個人でつくろうと考えたシソエフ氏は、ネットが普及していない当時、CD-ROMに地図データを焼いて使用ライセンスを販売した。

 

 珍しさもあって販売先は順調に増え、そのうちあることに気付く。多くのユーザーが、地図上の建物にどんな企業が入っているのか知りたがっていた。ならば地図と電話帳を融合させたサービスをつくれば解決できるのでは、と考えて1998年に試作したのが現サービスの原型だった。ネット地図をベースにした街情報提供サービスと言ってもいいだろう。翌99年1月、2GISのブランド名を付けて仲間とともに事業をスタートした。

 

2GIS本社の総合受付

 

なぜか大阪城の模型が飾られていた

 

 サービスはすべての人に無料開放する。利用者が見る画面に広告を表示することで、企業から広告料収入を得るのが主たるビジネスモデルだ。情報の正確さゆえにサービス利用者は伸び続け、2017年秋時点のユーザー数は3500万人強に達している。同社の分析によれば1人平均で毎月35回2GISで調べ物をしているといい、ヘビーユーザーの多さをうかがわせる。最近ではユーザーの検索履歴などをビッグデータにして業者向けに販売しており、これも急成長している。2GISの2017年の総売上高は、前年比で約15%増えた模様だ。

 

 ここまで成功したなら、普通は首都モスクワに本社を移すものではないのか。なぜシベリアに留まっているのか。そう聞くとシソエフ氏は淡々と答えた。「我々のビジネスには政治や中央官庁とのつながりはいらないんです。人材豊富なこの地を去る理由はありません」。むろんモスクワにも支社があって全国CM展開などはそこを拠点にやっているが、それだけのことだという。地元ノボシビルスク市は国際的知名度こそ高くないものの、人口160万人とロシア第3の都市。市内には「アカデムゴロドク」と呼ばれる国内屈指の学術研究の街があり、理系トップレベルとされるノボシビルスク国立大学を筆頭に教育機関も多く、確かに人材に不自由しない。

 

 2GISのあり方は、日本の地方企業にとっても参考になるのではないだろうか。

 

(了)

 

※2018年1月7日付北海道新聞朝刊経済面「寒風温風」記事をベースに大幅加筆しました。

2018ジャパンベトナムフェスティ バル

1月28日(土)・29日(日)

ジャパン・ベトナム・フェスティバル2018が1月27日(土)、28日(日)の2日間に渡り、ホーチミン市内の9月23日公園にて開催された。メインアトラクションとなるセンターステージでの日越両国のパフォーマンスに加え、官民合わせて58団体のブースがステージを囲む形で設置された。各ブースは3分野にゾーニングされ、企業PRゾーンには日本貿易振興機構(JETRO)のほか、清水建設株式会社、ハウス食品㈱、ミズノ、アシックスなど23企業・団体、日本文化紹介ゾーンには紀伊国屋書店、㈱プシロード、新潟市など7つのブース、観光PRゾーンには日本政府観光局(JNTO)、近畿日本ツーリスト、東北観光推進機構、鹿児島県商工会連合会など28団体が出展し、日越間の交流人口の増加、商品の売り込みなど、様々な角度からの日本のPRを行った。

 

メインゲートの様子

 

9月23日公園内の池を囲むようにブースが設置された

 

企業ブース:ヤクルト。ベトナムで人気とのこと

 

企業ブース:ツクイ。介護事業の紹介をしていた

 

企業ブース:オージーケー技研㈱。自転車用チャイルドシートの製品紹介を行っていた

 

企業ブース:EIKODOベトナム。お菓子の販促を行っていた

 

企業ブース:農水省は日本の水産品のPRをメインに行っていた

 

企業ブース:在ホーチミン日本国領事館。在ベトナムで活動するパッケージクラフトアーチストの紹介などを行っていた

 

日本文化紹介ブースの漫画フェスティバルブースには高校生、大学生の来訪が絶えなかった

 

日本文化紹介ブース:両日ともコスプレ姿で来場するベトナムの若者が多かった

 

協賛社名入り提灯も飾られた

 

メインゲートに設置された会場案内図

 

企業ブース:カラオケの第一興商のミニステージではアマチュアカラオケ大会が開催された

 

北海道からは北海道庁を始め北海道観光振興機構、旭川市、釧路商工会議所、根室市アジア圏輸出促進協議会、北海道商工会議所連合会、近畿日本ツーリスト協定旅館ホテル連盟北海道ひまわり会の7団体が観光ゾーンにブースを構えた。そのほか㈱コンサドーレが日本貿易振興機構(JETRO)が主催するスポーツ体験エリアにて、ベトナムの子どもたち向けにサッカー指導等を行った。北海道関係ブースはひと塊のエリアに軒を連ねたが、常に多くの人がブースに引き寄せられていた。ハイエックは北海道庁国際経済室が設置したブースで主に留学生の勧誘を行った。

 

観光PRゾーン:北海道庁は道内大学のPRを行い、多くの大学生がブースを訪れた

 

観光PRゾーン:北海道庁もう一つのブースはクールジャパン北海道と釧路市のミルキークラウン乳業㈱のコラボレーションで道産牛乳を使用したソフトクリームを販売した

 

観光PRゾーン:旭川市は観光PRの一環でインスタグラム用に特注した枠と一緒に写真を撮り、来客者が写真をアップロードすると記念品を贈呈していた

 

観光PRゾーン:近畿日本ツーリスト協定旅館ホテル連盟北海道ひまわり会は個別のホテルをPRするのではなく、北海道の魅力を伝えていた。写真は左から浜野清正会長(㈱萬世閣代表取締役社長)、武部実行委員長、㈱近畿日本ツーリスト北海道・谷口哲也代表取締役社長

 

観光PRゾーン:釧路商工会議所はサバの一夜干しを焼いて試食提供していた

 

観光ゾーン:北海道商工会議所連合会。会員の商品等の案内を行っていた

 

スポーツ体験エリアではコンサドーレのコーチがべと子供を対象にサッカースクールを行っていた

 

観光PRブース:福島県のブースでは鎧兜を着させ、写真を撮るサービスに行列ができていた

 

観光PRブース:自治体のブースではくじ引きなど体験型のブースが人気だった

 

観光PRブース:JTBはVRを活用し、日本の美しい風景を紹介していた

 

ブース展示のほか大ステージが設置され日本からは千昌夫、W‐inds.などアジア地域で人気の高いアーティスト、ベトナムからは現地の人気歌手でJNTOのビジットジャパンアンバサダーin ベトナムのヌー・フック・ティンらがパフォーマンスを披露した。また、会場内にはフードスタンドが設置され、お祭りの雰囲気を盛り上げていた。両日とも日本の盆踊りでフィナーレを迎えた。

 

小塚崇彦元オリンピック・フィギアスケート選手は「スケートリンクからアジアをリンク」を合言葉にアイススポーツの普及宣伝を行った

 

農水省によりベトナムにおける日本食材サポーターの表彰があり、北海道からベトナムで根室のサンマを含む水産物を提供している「北海道 幸」が選ばれた

 

東日本大震災復興支援アイドル「オリヒメ隊」のステージでは・・

 

ベトナムオタ芸隊がステージを盛り上げていた

 

山形県のローカル演歌歌手、奥山えいじさんは「演歌は日本の心です」と歌唱力で観客を魅了した

 

千昌夫さんは「北国の春」を披露し、喝さいを浴びていた

 

W-inds.のパフォーマンスには黄色い声援が飛び交った

 

会場の盛り上がりはベトナムのジャスティン・ビーバーといわれるドン・ニーの登場で最高潮に達した。JNTOがドンを起用し制作した日本観光のプロモーションビデオとともにステージが繰り広げられた

 

両日ともパフォーマンスは日越友好盆踊り大会で終了した

 

会場にはベトナム料理の屋台が多く並んだ

 

BBQや

 

串焼きや

 

ベトナムならではのエキゾチックな料理も人気だった

 

前日の開会式で武部実行委員長が懸念していたように、27日のU23アジア大会(サッカー)決勝戦の時間帯は会場の来客者数が激減したものの、それ以外の時間帯は多くの来場者で会場がにぎわった。

27日にはJVF会場近くでパブリックビューイング会場が設置された

 

日が暮れると、会場そばの道路はサッカー試合後の熱気が冷めやらぬ若者たちであふれた

 

本事業の概要についてはHOPPOKEN誌182号(春号)でご紹介させていただく予定。紙幅の関係上写真掲載数が限られるため、ホームページ上で写真を多く紹介させていただくこととした。

2018ジャパンベトナムフェスティ バル開会式・レセプションの模様

1月27日(金)

 

「2018ジャパンベトナムフェスティ バル≪実行委員長‐‐‐ 武部勤・日越友好議員連盟 特別顧問/トー・フィ・ルア・越日友好議員連盟会長≫(以下JVF)」が、1月28日(土)、29(日)ホーチミン市で開催されるのに先立ち、27日(金)の夕方に開会式とレセプションがニュー・ワールドホテル(ホーチミン市)にて行われた。日本側から、武部実行委員長のほか中根一幸・外務副大臣、林幹雄・自民党幹事長代理、松浪健四郎・学校法人日本体育大学理事長、梅田邦夫・ 駐ベトナム社会主義共和国日本国特命全権大使、河上(かわうえ)淳一・在ホーチミン日本国総領事、ベトナム側からトー・フィー・ルア実行委員長に加えチュオン・タン・サン前国家主席、グェン・クオック・クオン駐日ベトナム大使を始め多数の要人が顔をそろえた。北海道からは窪田毅副知事、堀内一宏北海道ASEAN事務所長(在シンガポール)などが参加した。

武部勤実行委員長

 

トー・フィ・ルア実行委員長

 

両実行委員長

 

開会式で武部氏は「2018年は日本とベトナムが正式に外交関係を樹立してから45周年という節目の年です。今年のテーマ「手と手をとって」(Cùng nắm chặt tay nhau)を合言葉に、相互に伝統・文化を理解し、観光・物産・先端技術の紹介や、スポーツ分野での交流など両国の国交をさらに深める交流イベントとして盛り上げていきたいと思っています」とあいさつし「ただし、明日はベトナムがサッカーU23アジア選手権の決勝に駒を進めたので、是非勝っていただきたいと思う反面、試合時間(午後3時~5時ころ)中、来場者が激減する不安もあります。ともあれ主催者としてはJVFを最大限に盛り上げていきたいと思いますので、是非皆さまのご協力を賜りたいと思います」と話し会場から笑いと拍手を誘っていた。

 

開会式キック・オフのテープカット

 

乾杯の音頭をとる中根一幸・外務副大臣

 

窪田毅北海道副知事(中央)と堀内一宏北海道ASEAN事務所長(右)と金子徳之ハイエック管理課長(左)

 

引き続いて中根一幸・外務副大臣の乾杯の音頭でレセプションが始まると、参加者は用意されていた料理を楽しんだ。日越両国の料理が供され、サンマの塩焼きや、和牛のローストビーフなどすでに日本からベトナムに輸出されている原材料を用いて調理されたメニューもテーブルに並んでいた。一番の盛り上がりを見せたのは、大阪の水産物小売り店・回転ずし店を手掛ける大起水産株式会社のマグロ解体ショーで、同社の職人がステージで48kgのインド洋産マグロを解体を始めると、大きな歓声が上がった。解体されたマグロはその場で寿司としてふるまわれ、両国の参加者はさばきたての新鮮なマグロ寿司を一口食べようと、大起水産のテーブルを囲んでいた。

 

会場を沸かせたマグロ解体ショー

 

解体後のマグロは寿司としてふるまわれた

スポーツ交流推進役として昨年度からJVFにかかわっている、元フィギアスケート・オリンピック選手の小塚崇彦氏も来場し登壇。「日本とベトナムのスポーツ交流を盛り上げてゆきたい」とあいさつしたあと、会場のあちこちから声がかかり、写真撮影に忙しい様子だった。河上淳一・在ホーチミン日本国総領事の「明日から2日間、日越間の友情をますます深める機会にしてゆきましょう」との締めの乾杯でレセプションが終了し、26日のプレ・イベントプログラムがすべて終了した。

 

 

 

小塚崇彦氏

 

左からハイエック金子課長、小塚氏、通訳、人材会社CEOのファット トリエン氏

 

 

 

 

 

 

 

2018ジャパンベトナムフェスティバル

1月26日(木)

 

HOPPOKEN181号(冬号)で北海道が昨年8月にベトナム国投資省と覚書を交わしたことをお伝えした。新年度にはベトナムとの友好関係推進事業を展開する予算も計上される見込みで、北海道とベトナム国の関係強化の機運がますます高まっている。

 1月27日、28日の両日にわたりジャパン・ベトナム・フェスティバルがベトナム・ホーチミン市で開催される。今回、北海道庁をはじめ道内からは釧路市、北海道観光振興機構などが会場でブースを構える予定だ。

 ジャパン・ベトナム・フェスティバルとはそもそも何?という方も多いかもしれないので説明を加えたい。主催者は「ベトナム最大級の来場者数を誇るジャパンフェスです。日越相互に伝統・文化を理解することはもとより、商談会やセミナーを利用したビジネスマッチングによる観光・物産・先端技術の紹介や、スポーツ分野での交流など、真の日越共同イベントを目指しています。日本とベトナムが『手と手をとって』を合言葉に、日越両国の『相互協力』『共栄・共存』『未来創造』をコンセプトとした一大事業。『食と農』『文化・芸術・芸能』『人材育成・スポーツ交流』『もの・ことづくり』『観光』など、『日本とベトナムが“相互協力”の関係をより強固にする』ことを基本として開催されます。特に食、サービス、技術交流等、については、現地でBtoCとB to Bが同時展開できる絶好の機会となっています」と本事業について説明している。平たく言うと「日本がベトナムに様々な分野で売り込みをかける機会」と捉えて問題ないであろう。北海道としては観光地としての売り込みのほか、近年中国人に代わってベトナムからの応募が多い技能実習生の研修先としての宣伝も視野に入れている。

 

 2か国併催であるためベトナム側の主催者として実行委員長のトー・フィー・ルア氏(全越日友好議員連盟会長)、そして日本側の実行委員長として武部勤氏(日越友好議員連盟特別顧問)がそれぞれ務める形をとっている。日本側は北海道のほか、農水省やJICA、JETRO、そのほか新潟県をはじめとした自治体、また民間事業者等が参加し、それぞれの思惑でベトナムに売り込みをかける。北海道は「観光客の誘致」と「留学生の確保」を軸に2つのブースを設けてアピールする予定。特設ステージも設けられ、ベトナムアーティストによるライブ公演のほか、アジア地域で絶大な人気を誇る歌手の千昌夫さん、北海道からはよさこいソーランの演舞などが予定されている。

 

25日の時点で北海道のブース外枠は完成していた。会場は1区9月23日公園内。

 

新潟市のほか、紀伊国屋書店など民間の参加も予定してる。

それらの模様を明日以降、写真をメインに報告していきたい。

 (調査研究部 森内)

 

 

 

 

 

 

 

第6回「北海道で考える北東アジア国際情勢シンポジウム」

「動き出した日ロ新時代~今後の展開を考える~」

 

日 時 平成29年3月3日(金) 14:00~16:30

場 所 京王プラザホテル札幌 2F 「扇の間」

主 催 公益社団法人北海道国際交流・協力総合センター(ハイエック)

後援・協力 北海道 札幌市 根室市 北海道経済連合会 北海道商工会議所連合会

北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター 毎日新聞社北海道支社 北海道新聞社

コーディネーター:岩下明裕 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授

パネリスト:         黒岩幸子 岩手県立大学教授 

                           齋藤大輔 ロシアNIS貿易会 経済研究所次長

                           本間浩昭 毎日新聞社報道部根室記者

                           高田喜博 ハイエック上席研究員

 

*基調講演

PDF版はこちら(印刷用)

北海道で考えるシンポ(新HP用)(PDF)

 

(岩下明裕)

 今日のテーマは「動き出した日ロ新時代」ですが、これは最後に再び聞きますが、気になるのは、本当に動き出すのかということです。これまで領土問題は、何回も動くといって動かなかったのではないか。これが今日のテーマの柱になると思います。

 その前に、12月の日ロ首脳会談の評価ですが、これはどこを見るかによって違います。領土問題を見るのか、経済問題を見るのか、人の往来について見るのか、安全保障について見るのかなど、どこを見るのかによって評価は違うのだろうと思います。それを踏まえて、それぞれ一人12分で、まず今回の首脳会談は百点満点で何点なのか、その理由をつけて発言して下さい。

 

(黒岩幸子)

 評価は100点から120点ぐらいあげても良いと考えています。その前に、一つ言っておきたいのは「フェイクニュースに気をつけろ」ということです。12月の日ロ首脳会談前のメディアの報道は、官邸リークに踊らされて、いかにも領土問題が解決するのだという論調でした。ところが、ふたを開けてみたら何も出なかったので、今度はダメだと切り捨てました。日本のメディアには問題認識が全く欠けていると思います。自分たちが踊らされて失敗したのですから、どこを間違ってあんなに大騒ぎしたのかという自己検証が必要なはずです。でもその反省を何もしていない。こういうフェイクニュースに国民は踊らされてはいけないのです。

 ここに“The fake news media is the enemy of the Japanese people!”(フェイクニュースメディアは日本国民の敵)と書きました。今話題のトランプ大統領のツイッターからの引用をアレンジしたものです。メディアで色々言われてきたことは抜きにして、私の話を聞いていただきたいと思います。

 なぜ私が100点から120点という高い得点を付けたかというと、プーチンを交渉の場に連れ戻したことで成功だと見るからです。これに対してメディアの評価が低いのは、どこを起点にして考えるかの違いだと思います。プーチン大統領は、2000年に大統領に就任しました。当時の日本側は、小渕首相からバトンタッチしたばかりの森首相でした。その後も日本の首相は8回も交替して、ロシアとの北方領土交渉は迷走します。その間、プーチン大統領は、いったん首相になった時期を除いては、一貫して政権の座に就いています。そのプーチンを相手に、今から16年前の2001年3月に合意したイルクーツク声明が、日ロ交渉の最高到達点でした。なぜかと言えば、冷戦後初めて1956年の日ソ共同宣言を文書の上で再確認したからです。また、法と秩序に基づいた解決を約束した東京宣言なども確認されました。しかし、その後、日本では鈴木宗男スキャンダルが起こります。これで、それまで積み上げてきた日ロ交渉が振り出しに戻ったのです。いわば日ロのサッカーの試合が始まってボールを蹴り合っていたら、日本チームのベンチで大乱闘が起こって、トッププレーヤーが袋叩きにあって試合が続けられなくなったという状態です。こうして、相手チームのトップ、つまり、大統領になったばかりのプーチンに恥をかかせたわけです。そのプーチンを交渉の場に連れ戻すことは難しかったはずですが、とくかく連れ戻した。だから評価に値するのです。私は安倍政権がやることなすことに全て反対してきたけれど、日ロ交渉に関しては評価します。

 経済協力8項目については「食い逃げ論」がありますが、これは全く間違っています。経済協力というのは、北方領土に対する対価ではなく、領土交渉を進めるための環境づくりなのです。もし、領土をお金で買い戻せるのならば、1990年代の前半に返ってきたでしょう。その頃のロシアは、資本主義経済への移行期で経済的に大変苦しかったからです。経済協力と引き換えに領土問題で譲歩するというロシア側からの働きかけもありましたが、4島一括返還でなければダメだと日本外務省は断ったのです。ロシアはそれ以上は言ってこなかったのです。あのロシアが苦しかった時ですら金で買えなかったものが、今、金で買えるわけはないのです。

 北方領土での共同経済活動については、根室を中心とする道東に経済効果があることだけを条件に、どんどん推進すべきだと考えています。日本の主権をあまりに強く主張するのは馬鹿げています。ロシアが実効支配している島で、日本の主権を云々すれば共同経済活動などできません。1998年にも持ち上がった共同経済活動の交渉が流れたのは、日本が主権を問題にし過ぎたからです。

 現在、ビザ無し交流を実施していますが、これはロシアの交通法規に従い、ロシアの警察のパトカーに先導されて移動するなど、ロシアの主権下で行われています。だからといって日本人が北方4島をロシアの島だと認めたわけではありません。この間、ビザ無し交流の通訳者が一人、国後島で拘束されるという事件がありました。実際にはロシアの主権下で行われている交流ですから、日本側はその通訳者をすぐに連れて帰ることはできなかったのです。根室に経済効果があるのなら、ロシア側に税金を払っても良いのではないでしょうか。ただし、その場合には「日本の法的立場を害さない」という一言を入れておけば良いのです。

 それから、昨年末の日ロ首脳会談の際に、安倍首相が元島民を利用したという話が出ていますが、これも馬鹿げています。元島民は以前から利用されてきたからです。どういうことかというと、千島歯舞諸島居住者連盟ができた時、これは唯一の元島民の団体として認可されました。元島民は根室を基点として北方領土を放射線状につながっていたので、島同士のネットワークは弱かったのです。それで、自分の島だけが返ってくればよいというようなことを考えると、いまさら元島民を利用したと言うのは的外れでしょう。

 最後の領土問題の展望ですが、私が初めてビザ無し交流の通訳に出かけてから25年たりました。ここでぐずぐずしたら、また20年、30年たってしまいます。そうすれば戦後100年になりますね。例えば、今、日露戦争の頃の不正義を持ち出して、どうにかしてくれと言っても、それがどんなに正しくても、100年続いた事実を変更することは難しいでしょう。

 わずかな展望として提案したいのは、北海道知事は「島民ファースト」という旗印を上げてはどうかということです。これまで北海道は、70年も国と歩調を合わせてやってきたけれども、領土交渉はちっとも動かない。それならば、道民は自分たちの立場をもっと主張すべきではないでしょうか。元島民の方々を大事にする、その子孫の人たちも大勢住んでいる根室の地域を大事にする、そして、島に住んでいるロシア人を大事にするという意味での「島民ファースト」です。というのは、今、日本の離島の居住者がどんどん減少していく中で、北方領土に住んでいるロシア人は重要です。それから忘れてはいけないのは先住民のことです。かつて国後島に数千人のアイヌがいましたが、今は一人も残っていません。日ロ平和条約を締結する際には、日本とロシアが先住民に対して何をしてきたかを明らかにすべきです。

 そして、領土問題が解決しようとしまいが、どこに国境線が引かれようが、それを超克して、根室を中心とする北方領土を含めた水産経済圏を再び活性化させるべきです。それは北海道のためだけでなく、アジア、北太平洋地域、そして世界の平和にも貢献することを北海道から声を上げてほしいと思っています。

 

(岩下)安倍外交の中でも、北方領土交渉に対する評価が低い中で、かなりの高得点を与えました。評価の方法として、自分が設定した目標より到達点が上なのか下なのかというのがありますが、黒岩さんの「交渉の場に引き戻したから」というのであれば、安倍首相は、プーチンは来てくれるだけで良いと考えていたのでしょうか。メディアは、最低でも2島は返還されるだろうと言っていましたが、安倍総理はそうは考えていなかったのでしょうか。

 

(黒岩)安倍総理が何を考えていたかは分かりませんが、今の状況で「少なくとも2島は返還される」というのは余りに甘い考えです。そんなことはあり得ないことは分かりきっていました。それにもかかわらず自信を持って「最低でも2島」とリークしたのは、安倍総理が2島でも良いとする腹だったのかもしれません。しかし、それは甘かった訳です。

 2002年の鈴木宗男事件で日ロ交渉がむちゃくちゃになった時の相手方であったプーチンをもう一度連れてきた功績は大きいと思います。安倍首相本人は、何か別なことをしたかったのかも知れませんが、客観的に見れば評価できます。

 

(岩下)黒岩さんは、プーチン大統領が交渉の場に戻ったと言いますが、プーチンは平和条約ことには言及していますが、北方領土問題については一言も言っていません。これは交渉に戻ったと言えるのでしょうか、ただ日本に来ただけではありませんか。

 

(黒岩)日本に来ただけということはありえません。来日したのは事実であるにもかかわらず、何もない何もないと言って潰そうとするのか理解できません。

 

(岩下)私が聞きたいのは、領土問題を交渉するということが聞こえてこないのではないか。交渉に戻ってきたというが、私は戻ってきてはいないと考えています。

 

(黒岩)今はスタート時点で、これから交渉が開始されるのですから、急いで結果を求めるべきではないでしょう。どうして、交渉開始のホイッスルが鳴ったばかりなのに成果を求めるのですか。はじめて根室に日が当たっている時に、国民の視線が集まっている時に、今こそ「こうやれ、ああやれ」と積極的に発言して前進させるべき時に、なぜダメだダメだと言って、これを潰そうとするのですか。ロシアの回し者ではないだろうかと疑ってしまいます。せっかく土俵に戻ってきたのだから、今は安倍首相を支援して成果を出すよう努力すべき時です。

 

(岩下)それでは、平和な経済の問題に話を変えます。

 

(齋藤大介)

 経済中心にお話をさせていただきます。ロシアを長年ウオッチしている人から見れば、黒岩先生が言うように100点、ロシアを良く知らない人から見れば0点となのかもしれません。私としては期待値も入れて50点をつけたい。正直言って、プーチンが帰国して、これで息切れをしてしまっては、そこで終わりです。私はロシアNIS貿易会に所属しており、政府に近いところで仕事をしていますが、「2+2」、日ロ戦略対話、大臣レベルの訪問、そして安倍首相の訪ロなど、これからもやるぞという日本政府の積極性を感じています。これまで積極的に展開してきた対ロ外交を、これからも継続しようとしていることは評価できると思います。

 あまり評価できない点は、プーチン大統領だけをターゲットにしているところです。ナンバーツーであるメドベージェフ首相は親中派であり、また、北方領土を訪問したことがあるということで、彼は嫌われています。しかし、いつ彼が来日したかと言えば2010年の洞爺湖サミットの時だけで、首相になってからは一度も来ていません。極東経済開発は、プーチンが仕切っているようですが、経済は首相の専管事項です。経済協力にかこつけてメドベージェフ首相を日本に呼ぶことも必要ではないでしょうか。一般に、プーチン大統領の独裁のように言われていますが、下の意見を良く吸い上げているとも言われています。いくら柔道などを通じてプーチン大統領が日本文化にも詳しいといっても、周囲が対日強硬派であったらプーチンも日本に譲歩しづらい。そういう意味でプーチン以外の閣僚も味方にしていくことが、日本外交には必要です。

 12月のプーチン大統領の訪日の時に80件の文書に署名がなされました。安倍首相が昨年5月にソチで提案した経済協力8項目にそって区分けすれば、一番多いのがサハリンプロジェクトの液化工場に第3トレインを増設する等のエネルギー関連です。次は極東との経済協力に関する15文書で、北海道総合商事が手がけるサハ共和国での温室栽培の合意などもこれに含まれます。

 これを地域的に見ると、やはりエネルギーの23件の内の10件は極東ですし、ハバロフスクのロシア鉄道病院の健康センターがあり、都市作りとしてはウラジオストクが都市環境整備のモデル都市となっているなど、27件でだいたい三分の一が極東に関する案件です。

 重要なのは、経済協力は経済支援ではない、これに税金が投入されるということはないということで、1990年代の対ロ支援とは全く異なり、あくまで民間ベースでウィンウィンの関係を築こうとするものです。したがって、黒岩先生の言うように食い逃げには当たりません。経済協力と領土問題の関係としては、経済協力を進めていけば、島が返ってくると考えるのは大間違いです。領土問題に引き出すための一つのツールでしかない。安倍政権は、領土問題は正々堂々と交渉すべきであり、経済協力をエサに島を返してもらおうということは考えるべきではありません。

 日ロの経済関係の足元を見ていくと現時点では厳しいです。オイルマネーの落ち込み、ルーブルの下落など、ロシア経済の落ち込みで日ロ貿易は落ち込んでいます。2016年に約200億ドルまで行きましたが、2016年の貿易高の速報値は150億ドルで、2017年も落ち込むと思います。

 ロシアに進出している日本企業は約400社です。その内350社ほどがモスクワ周辺、のこり50社ほどが極東に進出しています。東南アジアなどに出ている企業数に比べるとはるかに少ないというのが現実です。簡単に言えば、日ロ経済関係というのはマイナーなのですね。皆さんにとってなくても困らない関係なのです。これをマイナーなままで終わらせることなく、メジャー化をはかっていきたい。そのためには分野の多様化、中小企業がいかに出て行くか、さらにはエリアの広域化の三つが必要です。

 日ロ貿易を見ていくと、日本からロシアに出ているのは、ほとんどが中古車やタイヤを含む自動車関係です。反対にロシアから日本に入ってくるのはエネルギーで、非常に一次産品に頼った構造です。ロシアに進出する企業も、エネルギー、商社、自動車、家電とかに限られてきたので、その裾野を拡大していかなければなりません。

 拡大の可能性があるのが、医療、農林水産、先端技術、都市開発、インフラ整備です。最近のロシアNIS貿易会に対する極東ビジネスの問い合わせは、全部が農林水産関係となっています。かつては、農林水産関係は斜陽産業だったので、問い合わせはなかったけれど、今、一番ホットなのは極東地域の農林水産の分野です。

 例えば、北海道の地元企業である「北海道総合商事」がやっているサハ共和国での温室栽培施設など、日本企業の目は農林水産に向いています。

 もう一つは中小企業であり、いくら大企業が出て行っても、やはり中小企業が出て行かないと、日ロの経済関係の裾野は広がりません。

 あとはエリアの広域化です。現在、モスクワ周辺に350社、極東に50社ほどが出ていて、その間のバイカル地方とかシベリア地域に進出している企業は少ない。しかし、エネルギー開発で潤っているのは、その辺りなので、そこを攻めていかないと日ロ関係の発展はないと思います。

 

(岩下)プーチンだけ相手にして良いのかという話がありました。よく言われるのは、ロシアは「トップが決めると動く」ということなのですが、私も必ずしもそうではないと思います。そうだとしても、メドベージェフは終ったと思っているので相手にしないのでは。一時期は後継者と言われていたけれども、もうそれはないなと日本政府が思っているのではないでしょうか。

 

(齋藤)確かに、プーチンが動いているので、メドベージェフには力がない、彼を相手にしてもしかたがないと思われているかも知れません。その下の第一副首相イーゴリ・イワノヴィッチ・シュワロフを相手にした方がよいという意見があるかもしれない。しかし、プーチンと、いつ解任されてもおかしくないメドベージェフの関係が続いている。ロシア人の友人も、この二人は永遠の上司と部下の関係だと言っており、その意味でメドベージェフの影響力は否定できません。

 

(岩下)G7などではプーチンよりメドベージェフの方が民主的だとか評価は高いけれども、北方領土へ行った彼を日本人は評価しないのでしょう。日本人は、どこかでプーチンは島を返してくれるのではないかと思っていますが、もし「プーチンを信じる」と言えば世界では驚かれるでしょう。そこで聞きたいのは、経済協力の面ではプーチンを信じても良いのでしょうか。

 

(齋藤)プーチン大統領は、投資環境やビジネス環境の改善に積極的に取り組んでおり、そういう意味では、少なくとも経済関係では一定の信頼を得ています。

 

(岩下)民間ビジネスとしては、いかに利益を得るか、いかにリスクを回避するかということが問題になりと思うのですが、実際にこれだけ儲かっているというような事例はあるのでしょうか。

 

(齋藤)ロシアビジネスで成功している人は「成功している」とは言いません。失敗事例だけが表に出てきます。

 ただ、日ロビジネス対話に参加した名古屋の中小企業の経営者は、ロシアで600人ほど雇っているなど、かなり手広くやっています。ロシアビジネスのやり始めは、言葉の問題などで苦労も多くて大変なのですが、成功しても後に続いてくる人はいないので、利益を独占できる、利益率は高いという傾向があるようです。

 これにたいして中国ビジネスは、日本企業や地場の企業との競争が激しくて、売上の割には利益は少ないようです。

 私が所属するロシアNIS貿易会という団体があること自体、ロシアビジネスが特殊であることを意味しているので、早くロシアビジネスをメジャー化してロシアNIS貿易会を潰さなければならないと考えています。

 

(岩下)ありがとうございました。それでは本間さん。今日は記者という立場から離れて個人としてしゃべって下さい。

 

(本間浩昭)本間です。記者としての発言ではないので宜しくお願いします。

 北方領土というのは、すぐ隣にあるパラレルワールドだと思います。今後、そのパラレルワールドとの関係がうまく構築できるかということになります。

 まず、評価ですが、お互いのにらみ合いから、一発で日本がうっちゃられた格好になりました。しかし、それでも私は、60点はあげたいなと思います。優良可であれば可。ただし、これは領土問題に関する点数です。

 そもそも、官邸は9月23日に「2島返還が最低限」という情報を、どうしてリークしたのか。いわゆる、期待値下げオペレーションという、初めに期待値を下げておけば、ほんの少しだけそれを上回っただけで成果になる。ふだん北方領土問題に関心を持っていなかった読売新聞にリークしたことに意味があり、これが朝日新聞だとまた違った展開になったかもしれません。その後も読売新聞へのリークは続きます。あとはガサネタをつかまされたマスメディアが多かった。おそらく官邸主導でリークが行われたのでしょう。

 脇さん(千島歯舞諸島居住者連盟理事長)は「具体的な道筋が示されず残念だった」と言っていますが、これまでジェットコースターのように期待値が上っては、一気に下がるということを繰り返してきたので、元島民にとっては「またか」という思いだったのでしょう。ただ、昨年5月のソチでのプーチン大統領の演説がそれなりに前向きだったことから、「今後はなんとかなるかもしれない」と思った元島民は結構いました。

 60点とはいえ、良いところもありました。これまで、納沙布岬から7キロしかない水晶島に行くのに、国後島古釜布を経由して遠回りして行く必要があり、しかも上陸できませんでした。何故かと言えば島の名前で日本とロシアが揉めたからです。ロシアでは「タンフィーリエフ島」と呼んでいるため、「水晶島」などという島はない、という態度でした。

 択捉島に空港ができてイヤな予感がしました。例えば仁川空港から択捉まで、チャーター便や直行便が飛ぶ。また、ツアーが仁川経由で択捉へ行き、ロシアのパスポートコントロールで、外国人、観光客が入ってくる。日本から仁川経由で観光客が押し寄せるかもしれない。洞爺湖サミットの開催時、日本政府の自粛要請を無視してオーストラリアのクルーズ船が北方領土にやってきたこともありました。

 現在、日ロで空路による墓参を検討しています。しかし、2000年に鈴木宗男氏が空路で国後島を訪れたとき、かなり遠回りをしました。空というのは自由に飛べそうですが、実は決められたウェイポイント(位置通過点)をつないで飛ばなければなりません。国後島までは直線距離で70キロくらいですが、その時は580キロくらい迂回しました。読売新聞によると4月22日か23日に飛ぶかもしれないと書いていますが、航空路というのは実は日本にとって必要なものです。

 インドとバングラデシュの国境に跨がる世界自然遺産シュンドルボンでは、インドから入った観光客はインドから出て、バングラデシュから入った観光客はバングラデシュから出るような形で出入国管理を調整しました。同じように、中標津空港から北方領土に入った観光客は、中標津空港から出るようなルートが必要となります。そのためには新たなウェイポイントを国際民間航空機関(ICAO)に申請して、OKを取らなければなりません。ところが、いまのところそうした手続きをしている形跡はありません。やる気がないのか、あるいは、今年はもうあきらめているのか分かりません。

 ちょうど今日、北方領土での日露共同経済活動について、隣接地域の方々の会合が中標津町で行われていて、港湾整備や栽培漁業などの構想が出ていますが、総花的なものにとどまっています。返らぬ現実を70年以上も嘆いて来たのですから、返還後の未来像を考えていても良さそうなものですが、「こういうことをやりたい」というような踏み込んだ提案はほとんどありませんでした。

 安全操業というのがあります。1998年に日露が合意した枠組み協定で、国後島の3マイル以遠まで入って操業ができます。こういうものを、例えばエコツアーに利用できないか、と私は思っています。四島近海には、北海道では姿を消してしまったような希少な動物たちがいっぱいいます。間近でシャチやラッコ、トドが見られます。エコツアーが実現すれば、元島民も自由に行き来ができるかもしれません。

 知床がユネスコの世界自然遺産に登録された際、IUCN(国際自然保護連合)は、知床に隣接する諸島も同様の生態系を有していることから、両国が合意するなら将来的には国際平和公園とすることも可能、と技術評価書に書きました。

 しかし北方四島は日露が領有権を主張する係争地です。そういう難しい地域でどう折り合えば実現できるか。NPO法人北の海の動物センターとNPO法人日露平和公園協会が知恵をしぼりました。ウルップ島まで含めてしまえば日露で折り合えるのではないか、と。北方四島を共通項とすれば、日本は北方四島までを「固有の領土」として主張でき、ロシアはウルップ島から北方四島までの実効支配を担保できるというわけです。

 係争地の取り扱いについて世界遺産条約第11条3は「2以上の国が主権又は管轄権を主張している領域内に存在する物件を記載することは、その紛争の当事国の権利にいかなる影響をももたらすもののではない」と定めており、係争地であっても双方から申請がなされると登録や拡張は可能です。ここは流氷がやってくる世界的な南限です。トロール船がスケトウダラを乱獲し、資源が十分の1まで低迷してしまいましたが、自然遺産に登録することで資源の持続的活用が可能になるかもしれません。

 現在、人が住んでいるのはほんのわずかな地域で、広大な土地が手つかずの状態で残っています。択捉島南東部の得(うる)茂(も)別(べつ)湖はベニザケの繁殖南限です。漁業関係者の中からは、戦前行われていたベニザケのふ化増殖事業とリゾート開発を合わせた構想を日露共同経済活動で実践してみてはどうかという話も出ています。ベニザケを求めて多くのヒグマが川沿いに生息しています。米アラスカ州のマクニール(マクニールリバー野生動物保護区)のように、ツアーの人数を1日10人に制限することも考えられます。世界中から観光客を呼び込めるぐらいの魅力が凝縮しています。択捉島は北方四島の中でもとりわけ自然が豊かで、ヒグマのほか、エトピリカ、シャチ、ラッコ、マッコウクジラなどが生息しており、エコツアーにはもってこいの島です。「この地域の未来像を描き」「ウィン・ウィンで」という安倍首相の構想とも重なるのではないでしょうか。

 もちろん共同経済活動は、本当に平和条約締結につながるのか、という問題をきちんと考えておかなければなりません。

 

(岩下)「最低でも2島」という報道が期待値を下げたという話ですが、これは4島一括返還に対する期待を2島返還という意味で期待値を下げたという意味ですが、それとも、これまで4島返還を主張していたので、ここで2島返還という話を出せばプーチン大統領が乗ってくると官邸が思ったのでしょうか。

 

(本間)安倍総理の頭の中は分かりませんが、いろいろなことは考えられます。元島民の方々も高齢化して、もう先がないという中でなんとか解決を図りたいとか、国民の期待値を2島返還まで下げることにより、それより少しでもよい結果を出すことで良くやったと評価されるようと考えたのかもしれません。それから、やはり領土交渉は安定政権でなければできないので、プーチン大統領も安倍総理も政権が安定しているいましかない。ここでやっておかないと、次は100年先になってしまうということを考えていたのかもしれません。いろいろな思惑が渦巻いて、こういう結果になったのだと思います。

 

(岩下)前原氏が、国会論戦で「最低でも2島」を取り上げて、東京宣言では4島の帰属を解決して平和条約を結ぶのではなかったのかと質問していた。

 やはり4島返還という枠組みは堅持しているのだろう。そうだとすれば、この2島返還というのは2島先行なのか、2島だけなのかは別として歯舞と色丹の2島返還のことを指し、日本側としては1956年の日ソ共同宣言に前提として、この歯舞と色丹の2島を返還するのは然るべきものだということになり、プーチン大統領に言わせれば然るべきものではないということになる。

 山口では90分ほど二人で話し合った訳で、ここで領土問題についてもかなり話し合われたようだが、それは外に出ていません。率直かつ突っ込んだ議論をしたと言っていますが、これは外交用語では「喧嘩別れ」ですよ。その時、プーチン大統領は、領土問題については一切表にだすなと言ったと言われているようです。共同声明では領土問題には触れていません。また、北方4島における共同経済活動についても、共同声明ではなくプレス向け声明に盛り込まれただけで、さらに日本語版では「国後、択捉、歯舞、色丹」と書いてあるのですが、ロシア語版には「南クリル」と書いてある訳です。ここが一致しなかったといおうのが、共同声明に盛り込まれなかった一番の理由だったようです。ところが、安倍総理は、共同経済活動について、4島の名前を書かせたから成果であると言っています。結局、水晶島や多楽島への墓参の話もありますが、このように島の名前で揉めると何も進まないではないでしょうか。

 

(本間)確かに、島の名前は重要です。かつては、日ロの地名を併記することでクリアできた時代もあったのですが、最近はかなり厳しいようです。

 

(岩下)ロシア側は、島名の併記を許すことは領土問題の存在を認めることになると考えている訳です。その意味ではロシア側は一貫しているのですが、これは、例えば「北緯〇度東経〇度にある島」という表記はできないのでしょうか。

 

(本間)そういう提案をしたこともあり、一つの考えであることは認めたものの、結局は実現しませんでした。

 

(岩下)技術的な話のようですが、実はこうした話がネックになって解決ができないのです。これが主権問題に係るからです。この一事で外交というのは止まってしまうのです。

 さて、飛行機による墓参の話ですが、飛行機を利用するのであれば、なにも中標津空港を利用する必要はなく、新千歳空港を利用する方が利便性は高いのではないでしょうか。

 

(本間)これは、黒岩さんも言われていたように、根室および周辺地域に利益が還元することが重要なのであって、仮に新千歳空港を発ったとしても、必ず中標津空港なりを経由するルート作りが必要です。

 現在、納沙布岬の観光客の入り込み数は年間15万人ほどですが、内閣府ではこれを10倍の150万人にしようとLCCを運行させようという動きがあります。しかし、150万人というのは知床の入り込み客数より多い数字です。仮にLCCを飛ばしたとしても本当に実現可能な数字でしょうか。そんな不毛な路線を作るよりは、とにかく北方領土の玄関口を中標津空港1カ所にしておくことが重要だと思います。

 

(高田喜博)

 これまで、北海道の中小企業の対ロシアビジネスを支援してきた関係から、安倍・プーチン会談後の対ロシアビジネスについて述べたいと思います。

 北海道とロシアの経済活動の歴史は古く、ソ連解体直後の1992年には北海道と隣接する極東3地域の経済協力に関する常設合同委員会が設置され、同時に具体的な案件を盛り込んだ経済協力プログラムが策定されました。また、2000年代にサハリンプロジェクトが開始されると、日本の総領事館と共に北海道のユジノサハリンスク事務所が開設され、経済交流に不可欠なフェリー航路や空路が開設されました。

 しかし、ロシアは二度の経済危機に見舞われ、最近も原油価格とルーブル安、さらに経済制裁などがあり、残念ながら北海道とロシア極東との経済交流は、期待されたような大きな流れにはなっていません。

 とはいえ、安倍・プーチン会談のずっと以前から、北海道の企業は対ロシアビジネスに挑戦し続けてきました。山口の翌日、東京でのビジネス対話には、そうした北海道の企業や北海道銀行が参加しています。そして、最近の日ロの経済協力の動きは、これまでロシアビジネスに挑戦してきた道内企業にとって「追い風」になるだろうと考えています。

 先ほど、齋藤さんが分野の多角化、中小企業の参加、エリアの広域化が必要だというお話がありました。北海道で言えば、これまでの道産品の輸出促進という取り組みから、世界で一番寒いサハ共和国で温室栽培を建設し、医療の分野では極東に画像診断センターを開設するなど、分野は多角化しています。また、対ロシアビジネスに挑戦する北海道企業は例外なく中小企業です。エリアも、従来はサハリンや極東が中心だったのですが、先ほどのサハ共和国や札幌市と姉妹関係にあるシベリアのノボシビルスクなどに、さらに、中央アジアのカザフスタンなどに拡大しようとしています。

 12月に安倍・プーチン会談後のビジネス対話で、具体的な経済協力について合意されたことによって、トップダウンによるビジネス環境・投資環境の整備、ロシアビジネスのイメージアップなどが期待できるなど、大きな「追い風」になることを期待しています。

 次に、北方4島における共同経済活動に関しては、非常に困難であると考えています。想像してみてください。仮に特区を設定するとしても、実際にロシア人が生活している島で経済活動を行うのですから、契約を締結する際の法律や言語はどうしますか、トラブルがあった時にどちらの裁判所に管轄がありますか、事件や事故があった場合はどちらの警察に管轄がありますか、利益が出た場合はどちらの税務署に税金を納めますかなど、主権の問題は避けて通ることはできません。だから、これまでも共同経済活動は実現しなかったのです。もし、これを実現しようとすれば、日本側としてもロシアの実効支配下にあるという現実を十分に踏まえて、最大限の譲歩をしなければならないだろう。

 それでは、それだけの譲歩をする価値があるのか。これは難しい問題ですが、今ここで領土交渉を放棄することができないとすれば、共同経済活動を突破口にするしかないだろう。実現可能性があるのは、既に実施されているビザなし交流をビジネス目的の渡航に拡大することだと思う。それによってビジネスの往来ができるようになれば、それは日ロ双方にとって意味があると思う。

 共同経済活動の具体例としては、プレス声明では「漁業、海面養殖、観光、医療、環境その他の分野を含み得る」となっていた。これらは全てロシア側で課題となっているものだ。こうした課題に貢献することを通じて、その分野のビジネスに参入しようというのは、これまでの北海道がやってきた「貢献と参入」というやり方でもある。この中で特に興味があるのは観光で、ちょうど岩下先生と一緒に取り組んでいる「ボーダーツーリズム」が関連する。これはボーダー(中間ライン)地域を旅するもので、地元を経由することになるというメリットがある。

 安倍・プーチン会談で日ロ関係は動き出そうとしており、さまざまなことが期待できそうだが、実際には結果はなにも出ていない。それでも、あえて期待値に対して80点という高い点数をつけたいと思う。会談の前後の議論を通じて、固有の領土論や4島一括返還論を再考する契機となったのはないか。共同経済活動の実現に向けて新しい日ロ関係が構築されるのではないか。そうしたことを含めて評価したいと思う。

 

(岩下)期待値で80点ということですが、期待の部分を取ったら何点ですか。

 

(高田)期待の部分を取ったとしても、最悪の状況にはなっていないので優良可でいえば可をあげたいと思います。可は30点ぐらいですか。

 

(岩下)30点は低いですね。さて、各自の点数の平均点は72点です。高田さんの30点の方でいくと平均は60点です。

 私は、領土問題については厳しい点数になるのですが、テレビ局の仕事で山口に行ってプーチン大統領を3時間ほど待っていて、ちゃんと到着しただけでありがたいと思ってしまいました。それが、現在の日ロ関係の現実なのかもしれません。

 領土問題について厳しい点数になるのは、2島返還という話が出て元島民の方々の期待も高まっていたのを見て、もし2島返還に国後や択捉についても何かあれば、安倍総理は大成功だと考えていました。そして、山口で何かしらの文書が出るのではないかとも考えていたのに、何もでなかったということもあり辛い点数になっています。

 

休憩

 

(岩下)それでは後半を開始します。最初に、「経済協力や経済活動」と「政治や領土問題」との関係です。それらが密接に関係していると言ったパネリストはいません。そこで、それらが全く関係がないのか、少しは関係があるのか、もし関係があるとして、どれほど関係があると考えているのか。こういう質問をするのは、例えば日本と中国との関係を見ると、経済的には密接な相互依存関係があるのに、政治的な関係は非常に良くない訳で、これは経済が領土問題に影響すると考えずに、経済は経済、領土は領土と分けて考えた方が良いのではないかと思うからです。

 

(黒岩)多少は関係があると思います。ただし、日ロの経済関係は、ものすごく小さいので大した影響はないと思います。日本は、経済制裁は有効だと考えているようです、例えば北朝鮮に対する経済制裁だって大きな効果は出ないことを考えるべきでしょう。

 1993年頃に札幌に住んでいたので、先ほど話が出た常設合同委員会の通訳をやっていました。北海道や極東のことをいろいろと勉強する機会になったのですが、あれほど楽な通訳はありませんでした。というのは、毎回「これから経済協力しましょう」と同じ話が繰り返されるだけだからです。稚内・コルサコフ航路の日ロの話し合いでも同じ話が繰り返されていました。

 それは、北海道はある意味で恵まれているからではないでしょうか。経済的に困っていなくて楽だから、わざわざ必死になってロシアに出ていく必要などなかったのではないでしょうか。

 

(岩下)齋藤さんにお聞きしますが、黒岩さんが言うようにロシアに対する経済制裁など苦にならないのでしょうか。

 

(齋藤)少ない日本がやっている制裁は、痛くも痒くもない制裁です。ただ、ロシアから見ると制裁をやるというのは、戦争の前段階として敵国にやるのが普通なので、経済制裁と領土問題の解決は無理なのではないか。

 

(岩下)米国の研究会でウクライナ人と話しをしていて、彼は「日本は、米国やEUよりも厳しい制裁をやっていれば、領土交渉はもっと有利にできたのではないか」と言っていました。私は、彼に「安倍総理は、既に領土交渉に前のめになっていた時期なので、もっと早く、そうなる前にウクライナ問題が生じていれば可能性もありますが、その効果については分かりませんね」と答えました。

 しかし、日本がロシアに経済制裁できない理由として、日ロの漁業協力の問題があり、経済制裁のせいで漁業ができなければ日本が困る。その意味で、日ロは既に密接な経済的相互依存関係にあるのではないか。

 

(本間)ちょっと異なる観点になるのですが、経済制裁のせいでベニザケが獲れなくなりました。それは、経済制裁に対する逆制裁でロシアはEUから食料を輸入しなくなりました。このためロシアは食料を自給すべく、いろいろな対策を考えたわけです。そして、高級なベニザケを日本漁船に獲らせるよりは、も自分たちで獲って国内消費に回そう、ということになり、日本の流し網漁を禁止してしまいました。このように、一つのものが関係のない別なものに作用することがあり、サケ・マスの漁業基地であった根室が壊滅的打撃を受け、そうなると領土問題どころではなくなるという負のスパイラルに陥っています。

 

(岩下)この論点は重要で、日本では経済と政治を単純に区別して議論しているのですが、それぞれに含みがあって多元方程式で考えるべきなのでしょう。そうなると、本当にそれがスイッチがどうか分からなくても、とりあえずこれを押してみれば、それで領土問題も動くかもしれないし、動かないかもしれないということで良いのかもしれない。

さて、高田さん。先ほど黒岩さんが北海道に対して非常に厳しい意見を述べましたが、北海道は本当にやれるのでしょうか。

 

(高田)もともと、私は中国との経済交流が専門でしたが、10年ほど前からロシアとの経済交流も担当することになました。そうして、最初の研究会で合同委員会の批判をしました。したがって、同じことの繰り返しで具体的な成果を出していないという批判は良く分かります。ただ、その後は少し変化しています。もともと経済交流の主体は個々の企業なのですね。最近は、道内の一部の企業が積極的にロシアに出ようとし、道庁はそれをどうやって支援しようか考えるようになってきています。

 そうした流れの中で、今回の安倍・プーチン会談のインパクトがあった訳です。これを受けて、北海道ではロシアとの経済協力として何ができるのか、北方領土における共同経済活動として何ができるのかを真剣に考え、これまでの反省を踏まえて推進させなければならないのです。

 

(岩下)具体的には、どういうように推進させるのですか。

 

(高田)12月に山口の翌日の東京における日ロビジネス対話に、いくつかの北海道の企業が参加しています。その一つが北海道総合商事(株)のサハ共和国における食物工場です。世界で一番寒い地域で事業展開できるのであれば、他の寒冷地でも可能な訳で、ユーラシアに展開してほしいと思います。

 そして、旭川の作業着を扱う中小企業は、寒冷地用のマイナス30度でも劣化しないゴム手袋などをロシアに売り込もうとしています。通常は競合する韓国や中国の製品が真似のできないものなので、中小企業といえども大きな可能性があると期待しています。

 

(岩下)齋藤さんにも、経済協力の面で北海道がやれることについてお聞きしたいと思います。

 

(齋藤)現在、ロシアの経済政策のキーワードは、ロシアへの企業誘致(投資)とロシア製品の輸出支援です。従来は、北海道といえば、道産品、特に農産品の輸出でしたが、最近はロシアで何かやろうという企業進出の事例もあって喜ばしいことです。

 北海道企業がやれることはいくつかありますが、やはり農林水産業の分野だと考えています。北海道の水産の技術が秀でているのであれば、現地に加工工業を作ることを考えてほしいと思います。日本企業は、現地で製品を作って日本へ輸出することを考えますが、ロシアに需要が生まれているので、良い製品は必ずロシアでも売れます。

 ロシアは税制が難しい、手続きが難しい、言葉が難しいなど進出しない理由を考えてしまいますが、ロシアに進出している最近の社長さんたちはロシア語ができません。言葉ができなくてもロシアへ行ってみようという若い経営者がもっと出てくれは、北海道も変わるのではないでしょうか。

 

(岩下)さて、根室の話をしたいのですが、多くの元島民が島が返還されなくても、せめて自由に往来したい、経済活動をさせてほしいと考えているようです。共同経済活動は難しいかもしれないけどチャンスでもあると思います。地元は、これをどのように生かそうと考えているのでしょうか。共同経済活動と言っても、東京の大手が入ってくるのであれば地元によっては痛しかゆしだと思います。

 

(本間)安倍総理は「この地域の未来像を描き」「ウィンウィン」「日本人とロシア人が一緒に住んで」とか言っているのですが、そこから「新しいアプローチ」について考えると、浮かび上がってくるのは、2~3年後を目途に固めていきたいと考えているのではないか。つまり、経済がうまく回り始めてくれば領土問題についても進展するだろう。いまのところ総理の考えている「新しいアプローチ」のうち、3割程度は「こんな感じかなぁ」とほの見えるだけで、残りの7割の戦略はまるで見えてきません。

 先ほど申し上げたように、根室という地域は、北方領土が現実に返還された時にどうしたいのかについて真剣に考えてこなかったのではないかと感じています。本当に四島が返ってきてほしいという切実さがない。むしろ、ロシアに依存しながら、魚がそれなりに水揚げされて市中経済が潤えば良いと考えてきたのだと思います。1990年代くらいから根室は、「領土問題が解決しないから苦しい」と言って政府からさまざまな優遇策を受けてきました。

 そう考えるのは、総理が今回、「この地域の未来像を描く」と言い始めたとき、総花的なプランしか描けなかったことからもうかがえます。これまで返還後の未来像をろくに描いてこなかったことがバレてしまいました。

 北海道未来総合研究所が、平成5年8月に出した「北方領土の将来構想に関する基礎研究」という報告書があります。そのほかに根室市の有識者が作った「四島の開発プラン」のようなものもありますが、その程度です。四島の将来像を真摯に探ろうとした形跡はほとんどありません。表に出ていないだけかもしれませんが。

 これだけ根室の漁業が厳しい状況ではありますが、倒産した地元企業は実はそんなにありません。アンダーグラウンドな経済の蓄積があったのだと思います。それがカツカツになりつつあるいま、共同経済活動に関する期待は非常に高まっています。

 そこで現在は、仮に栽培漁業を手がけるにしても、どこでどういう栽培漁業が可能か、海底の低質や海流の影響、水温の変動などごく基礎的な調査から始めなければならないという現実に迫られています。

 

(岩下)しかし、調査のために国からお金が落ちるのですね。

 

(本間)お金が落ちれば、調査で獲ったモノは根室に水揚げできます。

 

(岩下)元島民はどうですか。世論調査によれば4島返還を言う人は、むしろ少数派になっていますね。その中で、元島民の方々も4島返還と言えなくなっているのではないでしょうか。返還運動はどうなるのでしょうか。

 

(本間)私も「最低でも2島」という読売の記事が与えたインパクトは大きいと思います。「最低でも」ということで、「4島はもう返ってこない」というイメージを国民に与えてしまったのと同じだと思います。自分たちは見限られてしまったと感じたのではないでしょうか。

 

(岩下)黒岩さん。フロアからの質問を取る前に、これまでのやり取りを聞いて最後にいかがですか。

 

(黒岩)私は、「最低でも2島」というより「最高で2島」でも御の字だと考えています。私は、北海道がもっと主体的に領土問題について発言してゆくことを提案したいと思います。まず、ハーグの国際司法裁判所に提訴しても時間がかかるだけです。ソ連時代に日本は何回か持ち掛けましたが、当時のソ連は断っているので、これからも可能性はありません。実は、1991年にゴルバチョフが来日する前に、ソ連側の学者たちが国際司法裁判所に提訴された場合も想定して検討しています。その結果は、「ソ連は、歯舞と色丹を日本に渡す義務がある。国後と択捉に関してはソ連の方が有利だが、その法的地位を確定する必要がある」というものでした。日本外務省にも、ハーグに提訴しても国後・択捉については日本が不利だと認める人がいます。国際司法裁判所に提訴しても日本に返ってこないであろう2島について、対ロ交渉で取り戻そうというのは非現実的ではないでしょうか。

 私はこれまでの北方領土返還運動を否定しているのではなく、ここまで運動をやってきたからこそ2島だけでもチャンスは残っていると言いたいのです。確かに、日本固有の領土であると主張したい気持ちは分かりますが、この固有の領土論は国際社会では通用しません。日本が主張するようになったら、中国も尖閣諸島のことを固有の領土、韓国も竹島のことを固有の領土、ロシアも北方領土を固有の領土と言っています。「固有の領土」には定義がないので、これは国際社会では通用しません。

 このまま解決されずに交渉を100年続けるより、どこかに国境線を画定して、それを克服していくことが私たちの課題ではないでしょうか。

 今日のシンポジウムのテーマ「動き出した日ロ新時代」もどこか受け身ですね。これはむしろ北海道が主体的に動かして行こうと考えるべきでしょう。今は安倍・プーチン会談を評価している場合ではなく、北海道が主体的に働く必要があると思います。

 例えば、ハイエックが権威のある国際法学者を集めて国際司法裁判所に提訴した場合をシミュレーションすれば、日本の不利は明らかになるでしょう。そこからもっと建設的で現実的な解決策を提案してはいかがでしょうか。

 

(岩下)さて、残り20分です・フロアから質問を取りたいと思います。たくさんの質問がでるかもしれませんので、質問は1人1つ1分以内でお願いします。他に手があがらなければ2つめの質問を認めます。

 

(質問1)菅官房長官は、依然として4島返還論を堅持しているようですが、安倍総理に対してこの問題をきちんと提起すべきではないか。

 次に、今、日本はウクライナ問題を理由とするG7の制裁に加わっていますが、これを日本がイニシアチブを取って制裁を解除させることができれば、領土交渉においては日本に有利になるのではないか。

 齋藤さんに聞きたいのですが、サハリンから北海道にガスパイプラインを引くことができれば、日ロ双方にとってウィンウィンの関係になって良いのではないでしょうか。

 

(質問2)岩下先生に質問なのですが、日ロ関係を良くしたのであれば、地域の盛り上がりが不可欠だと思うが、それにしても根室も稚内も遠すぎる。経済的合理性の問題はありますが、稚内と札幌、根室と札幌をリニアモーターカーか鉄道でつなげて人の流れを激しくする必要があるのではないでしょうか。九州は、新幹線なども成功して外国人なども大勢利用して経済的にも良いと思うのですがいかがですか。

 

(岩下)それに一言だけ答えると、それはJR北海道の社長を呼んでやりたいとテーマだと思います。

 

(質問3)プーチン大統領は、良く中国との関係を引き合いに出していますが、中ロ貿易は日ロ貿易を圧倒しています。日ロ貿易をもっと拡大しないと領土交渉でも相手にされないのではないでしょうか。パノフ・東郷提案(1956年の日ソ共同宣言に基づく歯舞・色丹の2島返還と国後・択捉両島での共同経済活動を同時並行的に協議する案)について、これにリアリティを持たせることが平和条約締結のために有効なのではないか。

 

(質問4)日ロ関係において返還の話が進むのは良いことですが、実際問題として安全保障上の問題で必ず米国が絡んでくると思います。今は、トランプ大統領なので、いろいろ騒がれていますが、もし北方領土が返還されると米国はその軍事利用を考えるかもしれません。それは、具体的な返還についての議論をする際に影響してくるのでしょうか。

 

(岩下)ありがとうございました。経済、政治、地域、国際政治について質問がでました。それでは経済からということで、齋藤さんにガスパイプラインについてお願いします。

 

(齋藤)東京における日ロビジネス対話で合意された80件の内容は、昨年5月にソチで8項目の経済協力プログラムを提案してから日本政府が大急ぎで策定したものです。その間にロシア側からもサハリンと北海道を鉄道で結ぶとか、橋で結ぶとか、ガスパイプラインで結ぶとか、いくつかの大型案件が出てきました。多くの人は非現実的だと考えるかもしれませんが、今後は、そうした国が主導するような象徴的な大型案件について挑戦していくことも必要だと考えています。

 あと、日ロ貿易の拡大についてですが、貿易統計で見れば中国はロシアにとって最大の貿易相手国で貿易額は約1千億ドルです。これに対して、日本はロシアにとって7番目の貿易相手国で貿易額は約300億ドルなので、中国のレベルまで引き上げろとは言いませんが、経済関係が太い方が良いのは当然なので、今後は太くしていくべきだと考えています。

 ただ、中国とロシアの国境問題が解決された時の中ロ貿易は、今の日ロ貿易より小さかったことを考えると、日本がロシアの最大の貿易相手国になったとしても、それで領土問題が解決する訳ではないので、経済問題は淡々と進めていくべきです。

 最後に、私は領土問題の専門ではないのですが、森元総理の言い方が好きです。彼は、首脳会談で大きな地図を広げて、安倍総理とプーチン大統領の二人がマジックペンを持って、どこに線を引こうかと言って決めれば良いと言っています。無責任に聞こえるかもしれませんが、そうしたやり方が最終的な解決になるのではないかと思います。

 

(高田)先ほど、経済制裁解除の話が出ていました。経済制裁のせいで、ロシア国内の輸入代替を進めたい、言い換えると自国生産に切り替えたいということで、日本からの投資や中小企業の技術に対する需要が生まれてきたというプラスの側面があることも考えておく必要があります。

 また、本日の「動き出した日ロ新時代」というテーマですが、動き出したのは国と国の関係です。そして本日のメインタイトルに「北海道で考える」とあるように、このシンポは北海道に住む我々の問題として考えていきましょうというシリーズの一環です。黒岩先生に指摘してもらったように、今後も道民の皆さんと「今後の展開」について主体的に考えていきたいと思います。

 

(本間)北方領土は、極めて豊かな生態系が温存されている地域です。これだけ手つかずの自然が残ったのは、開発の手から免れてきたからです。ソ連時代はロシア人でさえ自由に入れない地域でした。南極を訪れるより難しい地域と言われたこともあります。かつての日本の山や川が温存され、開発の進んだ本州とはかけ離れた日本が残っています。日本が高度成長で失ったものがそこにあるという見方もできます。

 今回のプレス声明では三つの項目に分けられていましたが、実は「環境」と「観光」と「漁業」というのは同じテリトリーの問題です。まずは日露で環境整備を行い、持続可能な形で漁業とエコツアーを実践すれば、沖縄以上に可能性があるかもしれません。ある意味で「究極のエコアイランド」なのです。エコツアーを重ねて行くことで、いつ、どこへ行くと、何を見ることができるか、というデータも取ってしまう。こうしたデータも将来、日露が共存して行くための重要な資源になります。

 世界には、係争地であるがために、豊かな生態系が温存されている地域がかなりあります。安倍総理はそこまで考えていないかもしれませんが、これは「係争地の新たな解決の仕方」でもある、という考えが少しでもあれば、世界は変わるのではないでしょうか。おそらく「環境安全保障」のようなものですね。それが「新しいアプローチ」の正体であれば、すばらしいことだと思います。

 この豊かで躍動的な自然が日本にまだ残っていることを自覚し、しっかり保全しながら、そしてロシアともウィンウィンの関係でやっていけるような、そういうものが今後の展開なのではないかなと思います。

 

(黒岩)先ほど米国の話が出ましたが、この問題は米国抜きでは解決できないですね。日本人は、「ソ連が日ソ中立条約を破って火事場泥棒的に北方領土を奪った」と言っていますが、事の発端はヤルタ協定で、英米がソ連に対日参戦の対価として、千島列島を引き渡すと約束したのが始まりです。1956年の日ソ共同宣言の際にも2島返還での妥結に横槍を入れたのは米国です。今はチャンスですが、米国抜きでは解決できないので、ちゃんと説明して米国にも納得してもらって、平和的な解決を認めさせるべきです。非武装化という話は前から出ているので、当然、平和条約の中に盛り込んで解決すべきだと考えています。

 

(岩下)米国のこと、日米同盟を考えたときに、沖縄の基地問題はある意味で領土問題なのですが、日米関係の重層性と深さと多層性に支えられ、日米同盟は安定して機能しています。確かに、トランプ大統領が出てきて日本人は不安かもしれないが、米国人も世界ももっと不安な訳です。日米は、リーダーが誰になっても重層的な関係があって、沖縄の基地問題がこじれても日米関係は壊れない訳です。これに対して日ロ関係では、プーチン大統領とだけ抱きつけばよいという話になっています。

 今回、安倍総理は領土問題に絡めてきましたが、むしろ普通に日ロ関係を深めていくべきだったのはないでしょうか。領土問題のトラップ(罠)にかかっているのは安倍総理なのかもしれません。だから、領土問題を言わずに重層的な日ロ関係を構築すべきであり、それが経済なり文化なりの交流であり、そういう意味では、12月の首脳会談では、領土問題は前進しなかったけれど、日ロ関係にはプラスだった。

 会談前にプーチン大統領が、読売新聞と日本テレビのインタビューに答えて言ったことは、ストレートなメッセージだった訳です。領土問題に関して「国後と択捉は論外で、歯舞と色丹だって無条件ではない」というのは、これまでの主張を言っただけです。これは、幻想ばかり見ている日本に対して、これがロシアの掛け値なしの話なのだ。いい加減、日本は分かれよというメッセージにも読める。

 そこから新しい関係をどうやって作り直していくかが我々の課題であるし、例えば領土幻想なども変わり目だとすれば、新しい日ロ関係を、もう一度、構築する時期にきているというのが私の本日の結論です。こういうことを、領土問題を抱えている北海道から発信することに意味があると思います。

平成29年度・第1回国際情勢セミナー

日ロ関係の展望~「日露経済協力」と「共同経済活動」の行方

 

日 時:2017年5月10日(水曜)15:00~17:30

場 所:北海道大学学術交流会館

主 催:公益社団法人北海道国際交流・協力総合センター(ハイエック)

NPO法人ロシア極東研、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター

後 援:北海道、札幌商工会議所、北海道新聞社など

 

*基調講演

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平成29年度・第1回国際情勢セミナー(PDF)

 

①下斗米伸夫 法政大学教授・スラブ・ユーラシア研究センター共同研究員

「日ロ関係史からみた首脳会談の成果と意義」

② 本田良一 北海道新聞社編集委員

「日ロ漁業の実態と共同経済活動」

*コメント

①岩下明裕           北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授

②田畑伸一郎  北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授  

③望月喜市   北海道大学名誉教授

④朝妻幸雄   日露経済交流コンサルタント代表 

⑤矢島隆志   日露エコノミックスセンター(株)代表取締役

 

基調講演Ⅰ

「日ロ関係史からみた首脳会談の成果と意義」(下斗米伸夫)

 

55年体制と日ソ交渉

 

 いま、目まぐるしい形で日ロ関係が動いています。こういう時だからこそ、少し引いた歴史の流れから日ロ関係を位置づけたらよいのか、そういった角度から日頃考えていることを申し述べさせていただきます。

 先日NHKドラマ「榎本武揚と日ロ交渉」の勉強会で気づいたことがあります。1875年の千島樺太交換条約を締結過程でロシアが北千島にこだわりその対象に入れるかどうかが問題になったようです。1940年にも日ソ間で中立条約を結ぶか不可侵条約を結ぶかの議論があった時モロトフ・ソ連外相が不可侵条約の条件に北千島の引渡を求めたのです。なぜ唐突な北千島要求か意味が分かりませんでした。榎本交渉を振り返って初めて、「こういうことだったのかと」と思いました。日ロ関係の深さと歴史の重さを体感した次第です。

 日ロ関係には日米関係同様に深く長い歴史があります。その両国関係について、2011年の東日本震災後、日ロの研究者が日ロ間160年の歴史問題を整理する共同を研究しました。モスクワ国際関係大学のトルクノフ学長やパノフ大使など、日本から五百旗頭真先生などが参加しました。日ロ間でパラレル・ヒストリーを作ろうと、立場の違いは違いとして歴史を議論しました。意外にも成功し、一昨年その成果を日本語とロシア語で同時出版した(トルクノフ、五百旗頭、ストレリツォフ、下斗米編『日ロ関係史−パラレル・ヒストリーの挑戦』東大出版会、2015年)。前半はその成果をふまえ歴史の話をします。細かい話はこの本をお読み下さい。

 日ロ関係史は、戦後に限っても、実り豊かと同時に、良く分からず、関連のつかめない一連の事態があります。1945年8月に帝国日本は崩壊し、ポスト帝国空間というべきものが現れた。ポツダム宣言での日本の領域は、大きな四島のほかは、「我々」、これは連合国という意味ですが、「我々の決定する諸小島」に限定されました。問題はその「我々」という米・ソの間の対立が出てまとまらなかった。小生は、冷戦は広島・長崎の核投下と並んで、ポスト日本帝国をめぐる地政学的対立が一因となったと理解しています。

 朝鮮半島の38度線の問題と、日ロ間に国境線がない問題とが、同じ次元の問題として存在します。その後のアジアの悲劇、中国内戦や朝鮮戦争というアジア熱戦や、その後の冷戦が未決着であることが、現代日本を取り巻く国際環境を今でも構成しています。

 そうした歴史で1953年3月のスターリン首相の死が大きな転機となった。その後フルシチョフやモロトフからなる集団指導体制の中で、平和共存の新路線が出てきます。7月に朝鮮戦争も休戦となる。朝鮮戦争の最中、日本は英米など西側多数派の国々とサンフランシスコ講和条約を結び、日本の領土についてある種の処理を行い、千島列島の「放棄」が決定される。同条約の第26条項が、署名していない国々も3年以内は欧米と同じ条件で署名できると規定しました。逆に言えば日本独立後3年たてば、未締結国は個別に平和条約を締結できることになる。それを見越し米国はアジア冷戦の体制を整えます。1955年4月、NSC(国家安全保障局)の対日政策という文書の中で、日本の米国基地の維持と安定運営のため、「穏健保守合同」という政治勢力の再編成が決められたという経緯がありました。

 ちょうど1か月後に、元東大総長で、中ソを含め全面講和を唱えてきた南原繁等、日本の学術団がロシアと中国を2か月間訪問した。南原はモロトフ外務大臣と会い、日ソの全面講和、平和条約の締結が必要であることを強く訴えました。同時に日本軍とドイツ軍の高級将校が戦犯として収容されていたモスクワ郊外の都市イワノボに行き、捕虜となっている日本の戦犯たちを励ましたといういきさつもありました。今考えると、それがある意味で一つのターニングポイントになります。55年体制というゆえんです。

 なかでも7月の中央委員会総会で新指導者となったフルシチョフ第一書記が、モロトフ外相等保守派に勝利しました。そのこともあってフルシチョフは、8月初めにロンドンでマリク全権を通じ、二島の引渡を日本側全権松本俊一に暗示する。これを受けた松本全権はしめたと思ったそうです。しかしその通りにはならなかった。そもそもこの二島返還の情報は外務省主流の妨害で鳩山総理の元に届かなかったことは有名な話です。保守合同で冷戦下の55年体制が形成されていく過程があった。政治勢力が鳩山民主党と吉田自由党が合同して自由民主党が生まれます。彼らは四島返還を決議します。そして野党も再編成され日本社会党が結成されます。わたしの見るところ、この領土問題を巡る55、56年のチャンスと混乱、その後60年間もそれを巡って日本国内の意見が平行線であったことの問題性は、すべてその辺に基本的問題が出尽くしていたと理解しています。

 

56年共同宣言の意義と限界

 56年に何があったかは本田良一さんのご本(『証言北方領土交渉』中央公論新社、2016年)にも、朝日新聞の故若宮啓文さんの本(『ドキュメント北方領土交渉』筑摩選書、2016年)にも出ています。そこでは、日ロ関係のダイナミズムや問題性が、日米関係を背景とする「日日問題」でもあり、それがいまだに米ソ冷戦の影をひきずって、そして、我々はまだその完全処理に成功していないことを物語っています。そこにはいくつかポイントがあります。ひとつは、「北方領土」という表現が実は「四つの島」という固有名詞であるという言い方の問題性です。本来なら普通名詞であるはずの「北方領土」がなぜ固有名詞として扱われるに至ったのかと言えば、この当時沖縄などをめぐって、南方同胞援護法という法律が1956年に制定された背景があります。当時の条約局長下田武三が絡んでいます。彼により「北方領土は千島列島ではない固有の四島」というある種の政治的定義が与えられ、以来日本政府の公式解釈となります。以後、我々はいかに対応を迫られたか、つまり「四島か二島か」の問題はご存知のとおりです。

 それでも同時に冷戦下でもこの問題をめぐって地政学的変化が起き、ほぼ17年ごとに日ソ関係にはチャンスが生じました。1956年のチャンスの後は、1973年の田中角栄首相時、ニクソンとキッシンジャー時代の米中接近とその後の日中関係の変化が日ソ関係を刺激します。またそれから17年後にはペレストロイカもあり、大きなチャンスがあるかに思われました。しかし、我々はついにソ連時代には、この領土問題を解決できなかった。

 中国という地政学的な問題もありました。二極対立の冷戦が三極化した。中国が1964年にソ連との国境紛争に対峙したとき、当時の毛沢東は「北方領土は日本のものであり、ソ連が占領している」という立場をとりはじめました。中ソ対立がすでに顕在化しており、そういう地政学的な多元主義とでもいうべき状況がこの極東地域には生まれていました。

 

ロシアの内政と外交

 それ以後の経過は時間の関係で、2014年のクリミア併合以降の状況に絞ります。クリミアをトランプ大統領は取るに足りない問題と言ったことがありますが、そうでない。ロシアとロシア人には重要な土地であったし、今でもそうです。そして日ロ間の領土問題も、クリミア問題に深く関係しているからです。択捉とウルップの間に国境線を引いた1855年の下田条約締結はクリミア戦争の最末期でした。ここでロシアは日本との国境画定をはかり、以降帝政ロシアは東方シフトをめざしたのです。

 その90年後の1945年に「大祖国戦争」の終結が見えたとき、ヤルタ会談でスターリンとルーズベルトとチャーチルの連合国三首脳がクリミアで戦後処理を取り決めます。この時日本についても秘密条約のような形で千島の処分が決まったことは周知の通りです。

 2014年危機の今、クリミアをめぐり東西が緊張しています。ロシアからすれば、自らの故地を取り戻しただけですが、西側は併合という表現で理解します。この国境線問題をどうするかがロシアと国際社会の最大の問題として制裁問題ともからんで浮上している。

 プーチン・ロシアの内政と言う角度から考えます。クレムリン横に2016年11月、キエフ・ルーシを受洗させたウラジーミル大公の像が建ちましたが、現ロシアの保守的愛国主義の姿勢を示しています。プーチン大統領は来年3月の大統領選挙、5月に就任式を控えています。再選後のプーチンは2024年まで大統領任期がありますが、その後のロシアをどうするかという、次期エリートの選択過程もまた併行して進みます。プーチン後の新しいロシアの将来をどう考えるのかということでしょう。

 背景にはウクライナ危機後のエネルギー価格の大幅下落、そして経済制裁があります。そうした過程で政治経済が刻々と変化し、エネルギーのような伝統的パラメーターよりも、人工頭脳とかITとかロボットとかの第四次産業的プロセスが急速に世界経済全体を動かし始めました。こうした挑戦にロシアがどう対応するのかということが考えられます。

 その意味では、レックス・ティラーソン国務長官というエクソン・モービルのCEOだった人物が、米国外交の舵取りするのは非常に象徴的です。世界は地球温暖化や北極海の利用、シェール革命にどういう角度で向き合うかという課題に当面しています。これは単に米国とロシアだけでなく、極東の日本や韓国というエネルギー輸入国、そして中東のサウジアラビアなどの産油国との新しい関係が生みだすことにもなるわけです。後者はイスラム要因と密接に絡んでいます。

 付言すれば、プーチン体制の性格が固まった2003年のユーコス事件にもエクソン・モービルが絡んでいます。同社がホドルコフスキーとの交渉でユーコス社の株式50%以上を獲得しようとしたことが、プーチンの危機感を招き、以後の戦略的・国家主義的経済運営の遠因となったようです。エクソン・モービルは「国家の中の国家」ともいわれるが、逆に、ロシアもロスネフチなどのエネルギー企業を「国家の中の国家」として再定義するプロセスが始まった。ロシアのエネルギー戦略的なものを主要な経済政策の中核に位置づけるということをプーチン大統領がやって、その戦略的な配置の中でロシアの政治経済の仕組全体が動いています。他方で米国はシェール革命で成功し、ただでさえ孤立主義的になってきたところに、シリア、中東危機、「パクス・アメリカーナ」の終焉、そして2017年1月の「アメリカ第一」を掲げるトランプ政権誕生という形でこれに対応しています。

 

ロシアの『脱欧入亜』

 奇しくも朝鮮半島危機は、米ロが同時にアジア・シフトせざるを得ないという地政学的なパワー・シフトを物語っています。その意味で現在のアジア経済がもつダイナミズムとこれを取り巻く多極化とでもいう状況が進む中で、ロシアが2006年くらいからアジア・シフトしました。APECのウラジオストク開催とか、極東発展省の設立とか、そういう仕組みを三選されたプーチン大統領が選択したのです。中・ロの新しいパートナーシップを推し進めた大統領府長官セルゲイ・イワノフ氏の後任アントン・ヴァイノ氏は、東京勤務が長い人物で、その意味でロシア大統領府の長官に日本をよく知る人物が出てきたということもあります。東方シフト戦略の要になるのが自由港に指定されたウラジオストクです。ほかにも十数港が自由港になろうとしており、日本もそうした動きに対応すべきであろうと思います。そういったロシアの東方シフトとどう向き合うかが、日本外交の重要な課題となっています。グローバルに動いているヨーロッパが、いち早く中国の一帯一路と結びついているということは皆さんご存知のとおりです。

 地政学というと東西関係あるいは南北関係と考えがちですが、北極圏というもうひとつのフロンティアがこれまた今年5月からダイナミックに動き出しました。北極協議会の議長国が、保守的だった米国から積極的なフィンランドに代わるというように、去年までのオバマ政権時代とは違う動きを始めています。6月3日、韓国で建造されたLNG船の命名式にプーチンも出席します(本誌月録ニュースを参照-編集部)。ヤマル半島のLNG基地がいよいよアジア市場にエネルギーを輸出する時代がやってきました。このLNG船は日本の商船会社が運航します。ロシアの『脱欧入亜』という時代がやってきました。

 

「ロシアの連邦外交概念」・クリミアと千島

 プーチン外交がどう動くかということが、日本の外交や安全保障、ビジネスを考えるに重要となります。昨年の山口会談には、既にいろいろ話が出ていますが、その直前にロシアでは大統領が署名した「外交概念」という文書を出しています。これは2010年、2013年、2016年と出されていますが、そこに面白い表現があります。2010年にロシアは国境線を国際法的に画定すると初めていっていたのですが、この2010年はノルウェーとの間で海の国境線を最終画定した年でもあります。

 2013年版の「外交概念」がこの表現を踏襲して国境線を国際法的に画定するとした時、じつはロシアはウクライナとの国境線を画定したばかりで、国際法的に国境線が決まっていないのは日本との間だけにとなりました。もっともその後ウクライナ紛争が生じます。それでも2016年11月末の「概念」では画定を「促進」するという表現になりました(26条e)。この間ウクライナ危機が生じ、クリール(千島)と並んでクリム(クリミア半島)は再度国際的にも国境が決まっていない対象となっています。

 クリミアはロシアのアイデンティティにかわる土地と言いました。ヘルソネソスの聖堂は1030年ほど前にキエフ大公ウラジーミルが受洗した場所ですが、セバストーポリの黒海艦隊基地のすぐ隣です。プーチン政権のシンボリズムとアイデンティがからむわけです。前述のように今回の新しい「外交概念」は、国際法的に国境の画定するプロセスを加速すると表現しています。クリミア半島とクリール諸島の問題解決をロシアは加速しようとしていると理解できます。実は、昨秋以降米国でもウクライナでも、クリミア問題をどうするかの議論もありました。大統領がオバマ氏から変わるからです。昨年9月初代ウクライナ大統領クラフチューク氏が、クリミアはウクライナ固有の領土でないと主張し世界をおどろかせましたが、これも米国選挙を見据えてのロシアとの和解の動きと理解できます。

 注目したいのはトランプ氏当選後、彼のロシア大使にも擬せられたキッシンジャー・アソシエイトの元外交官トーマス・グラハム氏の今年初めの論文でした。これでは、5年から10年かけてクリミア半島のロシア合法化を考えるという趣旨でした。彼はミンスク合意にも関係した人物です。その意味では米国とロシアの和解プロセスと日ロ関係の改善のプロセスがどういう形で諧調する(ハーモニーをなす)のか、非常に面白い問題です。もっとも米ロ関係のリセット、あるいはグランド・バーゲンとでもいうべきダイナミックなことを考えた人物が政権中枢からはずれたことで、現在は米ロ関係にペシミズムが広がっています。しかしFBI長官の解任などのニュースを見ると、米国の対ロ外交もむしろ内政の所産でもあり、これがどう動くは興味深いプロセスということです。

 

『突破口を開いた日ロ関係』

 2016年のソチの首脳会談で8項目の経済交流が提案されましたが、このテタテと呼ばれる首脳同士のトップダウンの形をとる交渉方式は、それまでの主として外務省を中心とした積み上げ方式の外交、明治からの伝統的な外務省主導、戦後の対米ファースト外交のやり方とは違うプロセスが進行しています。すでに17回を数える両首脳の会談で、二人が何をどこまで合意しているのでしょうか。そうした首脳同士の会話の内容が漏れてこないことが、むしろ良いことなのかもしれません。もっとも、外交の民主化ということからは問題でして、しかるべき成果が出たときその公開が是非必要ですが。少なくとも、そういう形で両首脳が合意したことを下に下ろしていく、そういうプロセスがずっと続いています。

 東方経済フォーラムという新しい中での両首脳の会合の定期化がさらにこれを保障しているし、昨年9月には日本内閣史上かつてないロシア担当大臣というものが生まれました。同時にトップ同士の合意とその履行過程には若干の時差があります。

 プーチン大統領は再選時、日本のジャーナリストに「引き分け」という考えを示したわけですが、これがどういうものなのか。安倍総理の新しいアプローチの一つの側面が、いま議論している「共同経済活動」であると言われています。しかし、私の理解するところでは、そういうトップダウンで決めて下に下ろしていくというプロセスなので、もしかすると我々は二人が合意して話していることの少し遅れた成果を見ているのかもしれません。

 その意味で山口会談には様々な評価がありますが、私は少し長期的に見る必要があると言う見解です。ソチで2016年5月に安倍首相が出した8項目提案に一言コメントします。第1項目の健康寿命の伸長ということは、実はクドリン元副首相が下書きを書いている今回の大統領の2030年に向けてのプログラムの中でも、ロシア人の平均寿命を76歳まで伸ばすとあり、これと対応しています。四番目のエネルギー協力は、この4月の日ロ首脳会談でパイプラインの話まで表に出ています。北海道の関係者だけでなく、いろいろな意味で世界経済における不安定化、日本のエネルギー供給の8割以上を占めてきた中東全体の政情が不安定化する中で、我々が将来のエネルギーをどう考えるかの問題です。石油やLNGではロシアがすでに日本のエネルギーの8%のシェアを有しているし、また、これからも伸びるであろうことは、我々にとっても重要なことだろうと思います。

 地政学的にはロシアは良い意味でも悪い意味でも世界の超大国です。世界の1/8を占めるロシアは、いわば地政学の巧者なわけです。東西南北を見渡しながら外交をすること、それがロシアを世界の地政学ゲームの中での超大国としている。特に今は、北極海やアジアとの関係についても、新しい再考のプロセスが始まっています。今年1月になって千島列島の松輪島(マトゥア島)をどうやって安全保障上位置付けるかという話が出ています。今年の夏にもこの島に調査団を送り込むという。そういった北極海からオホーツク海、そして日本海というものが、冷戦の時代とは違う国際環境に置かれるようになってきました。

 なにより、米国の国務長官がかつてのサハリン一の責任者として極東のエネルギー事情の問題の一番のエキスパートの一人であるということが、アジアの地政学と地形学の重要性、北海道を取り巻くいろいろな問題の重要性を示しているのであろうと思います。

 

「共同経済活動」の射程

 共同経済活動にも色々な評価がある。山口会談で15日の夜に、安倍総理が「特別な制度」という言い方をしたとき、私が思いついたのは2010年にロシアがノルウェーと国境線を画定したその背景です。一つはノルウェーはNATOの原加盟国で、北極を経てオホーツク海にもつながっており、それだけでなくスタドオイルというノルウェーの国営エネルギー会社が、オホーツク海にもいろいろな形で関与しています。

 そのこともあって山口会談で安倍総理が「特別な制度」と発言した時に、「これがスピッツベルゲン島をめぐるスヴァールバル条約と関係する」と翌日朝のNHKニュースで指摘しました。1920年に最初に国際連盟も関与してつくられた国際条約であって、現在は事実上ロシアとノルウェーとが二国間の国際条約で同島を運営しています。同島の主権は一応ノルウェーにあるが、アークティックウーゴル(北極海石炭)というロシアの石炭会社が共同経済活動をしている。単に石炭のみならず、スピッツベルゲン島という九州ほどの広さの島で、観光とか、最近はビール醸造とか、そういうことをやっています。共同経済活動をどうやってやるかという一つのモデルとなるでしょう。

 ところで、国際法でいうコンドミニアムは共同主権、共同管理ですが、1957年の南極条約で南極の共同管理をするという国際合意がなされている。それ以外にも、二つ以上の国々が主権を主張する島について、どういう共同経済管理の枠組みが可能であるかは、国際法的にも新しい問題であると同時に、経験的にはいくつかの例があるということです。

 NHKの岩田解説委員は、共同経済活動の交渉を一種の中間条約とみなすが(『外交』2017年)、私は、戦争終結の消極的な平和条約ではなく、平和友好条約みたいな枠組みが必要と考えており、そうしたものの内容に島の共同経済活動も入ってくるでしょう。

 

2017年の新展開

 今年のプロセスはすでに展開中です。北海道の皆さんは、先進的な情報網なり、ローカルなネットワークを構築しており、東京に住むものも勉強になるわけですが、首脳会談は失敗だったとするコメンテーターでもマスコミでも多かったようです。しかし日ロ交渉のテンポは落ちていません。日ロの政治的、経済的な種々の動きはむしろ加速しているようです。3月の「2+2」に出席したロシア国防大臣セルゲイ・ショイグはアジア系のトゥバ人ですが、彼がG7国で日本を最初に訪れ、安全保障の議論をしたことは、G7の国々の中で日本との関係が重要であると認識していることを示しています。面白いのは、トランプ政権が、そうした動きを止めていないことです。オバマ政権の時はブレーキを何度もかけた。その点が新しい米ロ・日ロ関係の重要なポイントと思います。これから9月の東方経済フォーラムで双方にどういう関係ができあがるのか、それまでにどういった案件が積みあがってくるのか、メディアではエネルギーなど報道がなされているが、なかなか興味深いプロセスが進行中であるとだけ申し上げたいのです。それでも北方領土に関してはチャーター便問題であるとか、ビザなしでの交流ポイントが増えるとか、さらに先ほど言ったパイプラインであるといった案件があがってきています。

 

終わりに 問題提起にかえて

 2018年5月は、奇しくもロシア大統領が決まる月ですが、これは日本におけるロシア年、ロシアにおける日本年が始まる月でもあります。日ロ間70数年間の因縁の問題は、幸か不幸か帝国日本の崩壊過程、とくに朝鮮半島の問題と非常に関係があると考えます。同時に日米関係で起きていることの関係を見る必要があります。米ロ関係が悪くなったほうが、日ロ関係がよくなるという人もいるが、私は米ロ関係と日ロ関係はどこかつながっていると理解しています。やはり平和条約は基本的に日本と連合国との関係であり、米ロ関係が悪い時に日ロ関係がよくなるとは思えません。これからの米ロ関係をみながら考える必要があるだろうと思います。

 最後に70数年前の後始末としての講和条約ではなくて、むしろ平和友好、そして経済協力を組み込んだ新しいタイプの条約が必要なのではないでしょうか。このような問題提起をして私のつたない講演を終えたいと思います。

 

 

基調講演Ⅱ

「日ロ漁業の実態と共同経済活動」(本田良一)

 

 北海道新聞の本田です。これからお話しすることは、北海道新聞の社論とは全く関係がないことを一言お断りしておきます。今、下斗米先生が、大きな歴史の流れの中で日ロ関係について話されましたが、私は地元で取材してきた立場から、ミクロの視点から、特に日ロ漁業の実態に関連して、共同経済活動がどうなるのかというお話をします。

 北方四島との間の「中間ライン」があります。これは事実上の国境線ですが、我々も日本政府も「中間ライン」と呼んでいます。これからお話する北方四島水域の漁業というのは、この「中間ライン」から東の水域を巡る話になります。

 昨年5月6日、ソチの会談でようやく日ロ交渉が動き出しました。ポイントは、新しいアプローチを採用することと、8項目の経済協力プランでした。9月と12月の首脳会談では、主に二つの合意がなされた。北方四島での共同経済活動に関する協議の開始と、もう一つは元島民の墓参手続きの簡素化です。今日は、共同経済活動をみていきます。

 12月15日の首脳会談後のプレス向け声明で「共同経済活動に関する協議を開始することが、平和条約の締結にむけた重要な一歩になりうるということに関して、相互理解に達した」と発表されました。この「平和条約締結に向けた重要な一歩」というのは、領土問題が解決しないから平和条約を締結できないので、その領土問題解決のための重要な一歩になりうるということです。それがなぜ「重要な一歩」に成り得るのかについて、推測も含め大胆に考えると、新しいアプローチの目標は「二島返還プラスα」ではないか。このα部分は国後、択捉の共同管理、共同統治を狙っていると思います。安倍首相は「新しいなんとか」というのがお好きで、消費税延期のときも「新しい判断」と言いました。

 本当に新しいかというと、過去の交渉の経緯を踏まえた提案ということができます。過去にあった「クナーゼ提案」と「並行協議」が新しいアプローチの前段階にあります。

 

クナーゼ提案

 「クナーゼ提案」は、ソ連崩壊後、新生ロシアができ、三か月後の1992年の3月20日と21日に第一回日ロ外相会談が開かれ、その時ロシア側が非公式に提案した内容です。クナーゼは当時の外務次官。外務省飯倉公館2階にビジタールームがあって、ここにコズイレフ外相が宿泊していたのですが、外相会談後に「ちょっと話がある」とロシア側が声をかけて、ロシア側はコズイレフ外相とクナーゼ次官と通訳、日本側は渡辺美智雄外相と斎藤外務審議官と日本側通訳の3対3の非公式会合がもたれます。クナーゼが日本語で提案したのがクナーゼ提案です。これは4つの段階をたどります。①まず歯舞と色丹を引き渡す手続き等に合意する。これは56年宣言で平和条約締結後に二島を引き渡すというのは決まっているので、引き渡しの手続きや条件について話しましょうということです。②それが合意できたら協定を結びましょう。もちろん、引き渡すのは平和条約を結んだ後です。そこまで行ったら、③次は国後、択捉の扱いについて交渉を始めましょう。この扱いというのは、これはどっちの島なのか、帰属問題を話し合うということです。④これがまとまれば平和条約を結びましょうと。提案は非常に良く考えらえられており、引き渡し手続きの合意というのは、例えば、色丹島は当時三千人ほど居住していたため、もし日本に返還されるなら大陸へ戻りたいというロシア人から、その際の引越し費用とか、島の財産の補償や、大陸に戻ってアパートや仕事をどう確保てしてくれるのかという話が出るのに対し、日本側がそれでは一人当たり二万ドル、引っ越し費用は別に五千ドル出しますとなれば、住民の方では「うちは5人家族なので十万ドル以上…」というようになる。これは今のレートで1,100万円くらいです。当時のロシアの地方都市で2LDK、3LDKのアパートが300~400万円で買えたレベルです。そうすると、「それならいいな」と納得してくれるかもしれない。そうした補償をするための協定を結びましょうということです。実は、その経緯を国後や択捉に住んでいるロシア人がじっと見ているわけです。そうすると、国後と択捉の交渉の時に、うちも十万ドルもらった方がいいという住民が出てきます。ここはモスクワから一番遠い、ロシアの最果ての地です。色丹島には世界の果てという岬があるほどです。そういう風にやっていけば、交渉もスムーズにいくのではないかということで考えられていたと思われます。クナーゼさんはそこまで言いませんでしたが、私はそのように理解しています。

 ただ、日本側でいうと問題は、二島の話で躓くと、なかなか国後、択捉の話に進まない。そして、これが最大の問題なのですが、国後と択捉は交渉してみないと分からない。四島が帰っている保証もない。それで、日本側はこの提案を無視した。無視した半年後にクナーゼさんは失脚。ロシアの対日方針もだんだん保守的になり、クナーゼ提案はなくなった。これが日本にとって最大のチャンスだったと町村信孝元外相も言っていました。

 

川奈提案から並行協議へ

 その後、日本は四島返還で頑張って川奈提案というのを出します。これは四島が日本に帰ってくることを前提にしたもっとも柔軟な提案でしたがロシア側に拒否された。そうなるとロシアは二島だけ、日本はあくまで四島という、いつまでたっても平行線ということで、ここに出てきたのが「並行協議」という提案です。

 2001年3月にイルクーツクで森喜朗元首相がプーチン大統領に提案した。これは、二つのテーブルを用意して、一方は歯舞と色丹の二島の返還について協議する、同時に他方のテーブルで国後と択捉の帰属問題を協議するというもの。二つのテーブルを同時並行的に進めていきましょう。妥結したら平和条約を結びましょうという提案だった。これはクナーゼ提案を下敷きにしたものです。森首相は、二つのテーブルを車の両輪のように転がしていってというように表現していました。その時、外務省に車の両輪というのは前輪と後輪ですか、それとも前の二つですかと聞いたのですが、前の二つですとの返事でした。

 つまり、同時並行的に転がしていくのであればクナーゼ提案とは違い、国後と択捉の問題が後回しにされないメリットがある。ただ、クナーゼ提案と同じく国後と択捉の帰属先は交渉してみないと分からないわけで、こちらも四島返還の保証はないのです。

 2001年3月にこの提案を受けたプーチン大統領はイエスでもノーでもなく、ロシア語で「パスモートリー」という「聞き置きました」と言った。その年10月に小泉首相に会ったプーチン大統領は、基本的に同意すると提案を受け入れた。

 交渉の結果を予測すると、①四島が返還される、②歯舞・色丹の二島先行返還+国後・択捉の二島継続協議、③歯舞・色丹の二島返還プラスα、④歯舞・色丹の二島返還のみというパターンが考えられる。可能性を考えると、実際のところ①というのは、ロシアはなかなか納得しないでしょう。④というのは日本が納得しないでしょう。それでは②か③ということになるのですが、②というのは領土問題が決着していないため、ロシア側から見ると、歯舞と色丹は返したが、日本はさらに国後と択捉まで要求し、そのうち全千島を要求してくるのではないか。そこを譲歩したら次は南樺太をよこせといってくる。というような感じになってしまうわけです。そしてなにより領土問題が決着しないというのが最大の問題です。プーチンがこれを受け入れることは難しいだろう。並行協議は実質問題として、二島プラスαというのが、この落としどころではなかったかと考えられます。

 結局、この日本側が提案した並行協議は、日本側が撤回します。2002年春に、現在は作家として活躍している佐藤優、当時の主任分析官が逮捕されて、その後に鈴木宗男さんが逮捕されて、その前に交渉を進めた東郷和彦欧州局長が海外逃亡してしまうというように、対ロ柔軟派と言われる人たちが全員パージさせられた。それで、いわゆる四島でなければだめだという四島派が勢力を盛り返して、並行協議は事実上撤回して消えてしまった。

 

新しいアプローチの狙い

 その先にあるのがこの新しいアプローチで、何が新しいか説明はありませんが、「過去の経緯にこだわらない未来志向のアプローチ」ということです。

 注目したい記事があります。2016年9月23日の読売新聞朝刊です。政府が「北方領土二島返還が最低条件、政府対ロ交渉で条件、平和条約四島帰属前提とせず」との方針を固めたと報じました。この「四島帰属前提とせず」というのは正確でなく、読売記事が正しければ「四島返還にこだわらない」とすべきです。なぜ並行協議が出てきたかといえば、4と2で行き詰まった中で、その落とし所をさがそうという「並行協議」が出てきた。だからロシアのプーチン大統領も交渉に乗ってきた。日本が四島にこだわる限り交渉は進まないということで、今まさに交渉が行われていること自体が、新しいアプローチが四島でなければだめだということを前提としていないと言えると思います。

 二島プラスαという道筋がいくつかあって、それぞれについて考えてみると、クナーゼ提案というのは二島返還プラス二島共同管理(四島返還もあり)であり、並行協議というのも二島プラス二島共同管理(四島返還は困難)、新しいアプローチというのは四島の共同管理後に二島を返還してもらうおうと考えているのではないか。つまり、結論は二島返還プラス二島共同管理となるが、二島返還は保障されていない。いいかえると、どちらがリスクをとるのかという問題です。二島返還ということになればロシアの中で反発がおきる。二島返還も約束しないと言うことになれば日本側の世論が納得しない。つまり、クナーゼ提案、並行協議というのは二島が必ず帰ってくることになっていたのでロシア側にリスクがあった。新しいアプローチというのは日本側がリスクを負っていると言うことになるわけです。ですから去年の12月の首脳会談では、「せめて二島返還ぐらいは言えよな」というのが皆さんの気持ちだったと思うのですが、プーチンさんは言わなかった。それはロシア国内の批判を回避することになったのです。

 

共同経済活動の壁

 共同経済活動は二つの壁があると思います。一つは法的枠組みの問題、もう一つはマーケットの問題です。共同経済活動の協議は、まず四島が対象だということ。ロシア語では「南クリール」です。そして、首脳会談後のプレス向け声明には、国際約束の締結を含む法的枠組みの諸問題を検討。これは条約を結びましょうという話ですね。その際に、領土問題に関する両国の立場を害さないということが条件になっている。

 法的枠組みの問題なのですが、安倍さんは12月14日夜のぶらさがりで、「四島での日ロ両国の特別な制度の下での共同経済活動」という言い方をした。首脳会談後のNHKの番組では、「ロシア法でもなく日本法でもない特別な制度」と、言っています。ところが、プレス向け声明には「特別な制度」という言葉はありません。毎日新聞は事前に「特別な制度を提案」みたいなことを書いていたけれども出てこなかった。つまりロシア側に受け入れられなかったということだと思います。つまり、「ロシア法でもなく日本法でもない特別な制度」と安倍さんが言っていることと、プレス声明の両国の立場を害するものではないというのとでは、実は大きな、大きなギャップがあります。

 法的枠組みの問題と日ロ漁業協定 この「立場を害するものではない」というのは、実は1977年5月27日に締結された日ソ漁業暫定協定にも同じような文言がある。

第8条に「…いずれの締約国の政府の立場や見解を害するものとみなしてはならない」という、いわゆるディスクレーマー(免責)条項がある。

 これがどういうことで出てきたかと言えば、今から40年前の1977年、200海里という大問題が起きました。前年12月10日にソ連最高幹部会令で200海里漁業専管海域というのを宣言します。そして翌年2月24日ソ連閣僚会議が北方四島水域を含む200海里専管海域の線引きを決定する。これは3月1日に施行されるが、1ヶ月の余裕をもって3月31日までの操業を認めた。それまでに協定が結ばれるだろうという一部楽観論もあったが、協定は結ばれなかった。3月31日に日本漁船1,000隻が帰港を余儀なくされます。

 交渉は、鈴木善幸農林大臣とイシコフ漁業大臣との間で1回、2回、3回と会談がおこなわれ、途中で園田官房長官が訪ソするが、それでも決まらないというように交渉は難航して、74日後にようやく妥結した。何が揉めたかと言えば、最大の争点というのは第1条に適用水域をどこにするかというについて、ソ連側は「ソ連閣僚会議に基づく適用水域の線引き」としたのに対し、日本側は具体的な文言のないものを期待した。ソ連側は北方四島を含めた200海里の具体的な線引きをした「閣僚会議」という言葉をいれたかった。

 

領土か魚か 

 実は、この交渉は日本がソ連の実効支配を認めるか認めないかということを迫られた最初の交渉となった。2回目の交渉の挫折後に鈴木農林水産相は、同行の記者団に「北洋の漁業権益と領土問題を両立させながら、ソ連との間に妥協を見いだすのは至難の問題だ。戦後30年既成事実化している現実を踏まえ、その現実を認めよと言っているソ連を相手にしての交渉だから…」と言っています。

 日本側にすれば戦後の現実を認めろとソ連側に迫られた訳です。ここでいう北洋漁業の権益の中心にあったのは52年に再開された北洋サケ・マスなのです。母船16隻、独航船500隻余りという55年のピークを過ぎて少なくなっていた1976年時点でも、10船団332隻が出ていた。どれくらい人が乗っていたかというと、母船の缶詰製造ラインなどに300名、航海士など船の運航などに100名、だいたい400名が乗り込んでいた。サケ・マスを取る独航船30~40隻に約600人なので1船団千人ほど。これは中型の炭鉱の規模に匹敵する産業でした。一つの船団が消えると言うことは、中規模の炭鉱一つが閉山になるということだった。それだけ儲かる産業でした。

 暫定漁業交渉は、「領土か魚か」を迫られた交渉で、結局、どうなったかといえば、第8条で「相互の関係における諸問題についてもいずれの締約国政府の立場または見解を害するものとみなしてはならない」という表現に落ち着いた。適用水域を定めた第1条では、結局、「ソ連政府の決定に従って」という文言を外せなかった。したがって、領土問題を担保するのはこの8条の文言だけしかない。同条の「相互の関係における諸問題についても…」というよく分からない文言も、本当は「漁業に限定する」という趣旨の文言を入れたかったが、それさえもできませんでした。ただ、鈴木善幸は、仮調印した夜に「困難な二つの命題を達成し、難交渉を解決することができた」と言います。この暫定協定は本協定になり、その内容は本協定に受け継がれ、今の漁業協定にも受け継がれています。

 漁業問題と領土問題は両立できたかといえば、北方領土に囲まれた三角水域では、78年以降にカニが禁漁、86年以降は全面禁漁になり、その時約100隻が閉め出された。その後は拿捕・銃撃事件もあり、2006年には一人が亡くなっている。昨年も9月15日に稚内のサンマ漁船がチェックポイントで獲りすぎを理由に拿捕され40日間抑留され、400万円の罰金を支払って解放された。つまりソ連とロシアが実効支配を続けているということです。98年に結んだ「安全操業協定」はどうかといえば、よく管轄権問題、主権問題を棚上にしたと表現されるが、実は主権問題に触れていないだけ。どういうことかといえば、日本漁船が違反をした場合の取り決めは協定の中に書いてない。これを書くと、違反した場合の管轄権の問題に触れざるを得ないから書いてない。これを美しく言えば、日本漁船は違反操業をしないことが前提とした協定なので、ですから「信頼の協定」ともいわれている。ところが、実際には違反操業が起きて、2005年11月から何度も拿捕されている。

 安全操業協定というのはかなりの協力金を支払っている。対サハリン技術支援ということで、毎年2億4千万円払っている。うち9,000万円はサハリンの日本センターの運営費なので、実質1億5千万円です。他にも払っているものがあってだいたい1億9千万円くらい払っています。操業枠は48隻なので、1隻だいたい400万円。一方水揚げはどうかといえば、2014年の実績で2億6千万円、1隻あたり550万円。したがって入漁料は実質72%となる。一般に入漁料は20~30%が限界なので、これは世界一高い入漁料といわれている。もう一つ日ロの枠組みがあって、「日ソ民間貝殻島昆布協定」というのがあり、これには「ソビエト社会主義共和国連邦の法律に従え」と書いてある。

 このように全てが、ロシアの実効支配を前提に行われている。今年3月18日、初の共同経済活動の具体化に向けた日ロ両政府の協議の席上でも、モノグロフ外務次官は「ロシアの法律に矛盾しないことを条件に共同経済活動は実現されなければならない」と言っているが、現在行われている日ロの漁業協定は全てロシアの法律に矛盾しない形で実現されています。結局、法的枠組みの問題は、実質的にロシアの実効支配を認めることになる。

もう一つ、作ったものをどうするかのマーケットの問題がありますが、省略します。

 

結論として

 共同経済活動の枠組みいうのは主権の問題に触れないということですが、事実上ロシアの主権を認めることになる。共同経済活動による生産物は日本に戻ってくると日本製品とマーケットで競合するので、ロシア国内で消費するか輸出することになる。

最終的な領土問題の解決は、「二島返還プラスα」ではなく、「二島返還プラス・マイナスα」になるのではないかというのが私の結論です。ただ、この結論が良いのか悪いのかは人それぞれ見方があると思います。どんな形でも解決した方が良いのではないか、例えば地元の根室の人たちはそう思うかも知れません。対中国という新しい要因を考えると、ロシアと早目に手を結んだ方が良いと考える人もいるかも知れません。

以上で、私からの報告を終わります。

 

円卓会議 討論者5名のコメント

 

コメント①:岩下明裕 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授

 今日のテーマは経済ですが、北方領土について一言コメントをします。こういうコメントも無いと経済は進まないということで聞いてください。

 先ほど、下斗米先生がノルウェーとロシアの国境確定と言われましたが、あれは国境ではなくて海域の境界設定でEEZ(排他的経済水域)のようなものです。大陸棚もある。つまり、言葉尻の問題ではなく、海の国境問題は、どうでも線が引けるので、どう決めても良い。島の問題は領有権で主権の問題なので、「国境」という言葉を使う、使わないというのは大事な問題で、柔軟にできる部分と、柔軟にやると大変なことになる部分とがあると思いました。

 それから、クリミアの話で19世紀と21世紀の東方シフトのアナロジーは解るのですが、19世紀と21世紀の地政学については違うのはないでしょうか。陸域の支配力も海域の支配力も、また技術力も、どう繋がるのかやっぱりよくピンと来ません。

 例えば、「ロシアは膨張していく国で、スターリンとプーチンは一緒だ」という議論がよくある。下斗米先生はそういうことは仰らないのですが、私は、ちょっと違うのではないかと危機感を感じます。アメリカ行くと、日本外交は「和」の外交で、聖徳太子の十七条の憲法にさかのぼるみたいな議論があります。しかし、それは違うでしょうと言いたくなるのと同じで、歴史が繋がっているとして議論するのは自由ですが、ちょっと意味が違うのではないかと…。

 領土問題なんかやっていますと、お互いに尖閣や竹島は歴史的に我が物であると主張しますが、元々どっちも関心が無かったのです。尖閣も竹島も後から変わったのです。それはやはり海の問題が変わったからでしょう。北方領土に関してもやはり海の問題がある訳です。本田報告にあったように、そういうことはやはり議論していくと海の問題がある訳です。実際、私は十年くらい前に産経新聞に怒られて、朝日新聞から褒められた本(『北方領土問題―4でも0でも、2でもなく』〔中公新書、2005年〕)で、北方領土のEEZがどうなるか、島が二つ、三つ、四つ返還されたらどうなるのか、について初めて書きました。今だから言いますが、根室の方々に「島が返ってくると海についてはどのくらい主張できるか」について聞いたところ、考えたことが無いと言うので、一緒にシミュレーションをしたのがあの本です。

 私の12月と5月の首脳会談に対するコメントを、北海道を盛り上げたいと思って、道新ではちょっと甘めに書きました。本音は、本日お配りした雑誌寄稿のコピーをご覧下さい。まず、安倍首相がやっている事の評価です。本田報告は、安倍首相の「新しいアプローチ」は、実は新しくはないと言いました。おそらく、最初は本田さんが言うようなことだったのだと思います。ところが、12月の首脳会談の前後から意味が変わり、その後の「新しいアプローチ」というのは、主権問題を外すことだと思います。ある雑誌には、今井尚哉(総理秘書官)という人が、最後まで抵抗した外務省を外して進めた訳です。それ以上は知りませんが、外された外務省も、日ロの交渉について情報が共有されていません。そういう状況で経済関係をどんどん進めていくと、私がお配りした資料に書いたように、どうせ北方領土問題は解決しないと皆が思ってしまうのではないでしょうか。

 それならば、せめて首相が言っていることに乗っかって、根室は共同経済活動を実施し、元島民は一回でも多く墓参に行く、北海道も経済協力8項目を利用して極東出て行く、というように、皆で藁をも縋る思いで、領土はどうでも良いと思っているのではないか。そういうことを私は非常に危惧します。

 プーチン大統領は、「東京宣言」は一切認めないと言っているらしい。そう考えた時、日本では56年宣言に戻って、そこから交渉すれば二島は返ってくるという判断をしていますが、プーチン大統領はずっと二島返還は無条件ではない、それも交渉であると言っています。11年前の2005年の小泉・プーチン会談は破綻して「共同声明」が出されなかった。安倍首相は、それを恐れて共同声明の代わりに「プレス向け声明」を出した。プーチン大統領は、繰り返し二島もタダでは返還しないと言っている。2005年の時には箝口令が敷かれて、当時は誰もこれを認識していなかった。しかし、そういう話は漏れる訳です。そこから考えるとプーチン大統領の立場はずっと同じなのです。ですから交渉は厳しいと考える訳です。

 そこで「共同経済活動」をやるとどうなるか。それは、本田さんが言った通りだと思いますが、本田さんの2島返還プラスマイナス・アルファはまた甘い。私は1週間前に「歯舞プラス・アルファ」と言いましたが、これもちょっと自信が無い。ここまで来たら領土問題は、もう良いのではないかと思い始めています。ただ、そんなことは絶対言えない。そのくらい私は危機感を持っています。

 そこでお二人に、「もう領土問題など本当は良いのではないですか」とお伺いしたい。特に下斗米先生は、安倍首相とプーチン大統領の12月の会談の後にNHKで「これは素晴らしい一歩だ。主権を乗り越えた」と述べていましたが、「主権を乗り越えた」というのは、もう領土の事は議論しないで我々は新しい利益を見つけるのだ。そういう段階まで来ているとお考えではないでしょうか。

 

コメント②:田畑伸一郎  北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授

 私は最近のロシア経済の変化とそれへの対応という視点から、日露の経済関係において何が出来るかという話をさせて貰いコメントに代えたい。

 ロシア経済が良くない。石油価格低迷と経済制裁の二つが原因であることは存知の通りです。私が言いたいことは、この二つの要因が一過性のものではないということです。2000年代初めのロシア経済は非常に好調でした。あの状況に戻ることはないという認識を持つべきだろう。それほど大きくロシアを取り巻く状況が変化しました。石油価格の低迷は、やはり大きな原因として、下斗米先生も言われたシェール革命がある。石油価格が再び1バレル100ドルに戻ることは無い。中国などの需要増大が言われますが、中国も電気自動車や風力、太陽光発電に取り組み、世間がいうほど需要が増えないので、石油の値段は精々60ドルくらいで推移する状態が5年や10年は続くと考えます。

 経済制裁も、トランプ大統領に替わる時に、何か劇的に状況が変わるとの憶測もあったようですが、最近のアメリカは、誰が決めているかは分からないが、外交方針は守られている感じがある。やはりロシアと欧米の関係が2014年以前に戻ることは考えられない。そうするとロシアへの大規模な投資は、難しいと思えます。こういう全く新しい状況がロシア経済にもつ意味は、一つにルーブル高は生じないことです。今まではルーブルが強くなり、輸入できたので、国内市場を輸入品が席巻しましたが、そういうことはもうない。もう一つは、ルーブル高が続く状況では、わざわざロシアに直接投資する必要がなかった。欧州のモノでも日本のモノでも買ってくれるので、ロシア国内に工場を作る必要がなく、輸出すれば良い状況でした。今後は直接投資するメリットが出てくる。実際14年と15年の対ロ直接投資はかなり落ち込みましたが、昨年(2016年)は330億ドルまで回復した。それにもう一つ。油価低迷の状況でロシアは新しい経済成長モデルを作らざるを得ない。以前の状況には戻れないので、真剣に新しいモデルを考えなければいけない。一つは「輸入代替」。輸入品に頼らず、国内で生産するために、製造業を発展させることが必要となる。

 最後に、ロシア経済のそうした変化が、日露経済関係の今後にどのような意味をもつかです。ルーブル高ではないので、ロシア進出には旨味が出てくると思います。経済制裁があるため、大きな投資は難しい。下斗米先生は、第4次産業革命と言われましたが、ロシアがITで急に世界をリードするとは思えません。私は、ロシアは今後も資源を活かす形で、その加工とか、環境に優しい利用とか、そういう面でしか活路を見いだせないと思う。そういう分野で日本は十分に貢献できる、あるいは、ビジネスをやっていけると考えます。以上で、私のコメントを終えたいと思います。どうも、ありがとうございました。

 

コメント③:望月喜市  ロシア極東研理事・北海道大学名誉教授

 私の主張は配布資料にあります。詳細はお読みください。私は本日のコメンテーターですが、お二人の報告内容を予め読んでいないので、私の主張を述べさせていただきます。

 第一の主張は、プーチン氏と安倍氏のチームは、本気になって自らの政権在位中に平和条約を結ぼう、あるいは結ぶ可能性を作り次期政権に渡していくと公言しています。私は、信用して良いと思います。私は、安倍首相の内政は好きではないのですが、平和条約に関しては是非とも解決していただきたい。

 第二に、私は経済を専門家として言いたいのですが、日露経済協力というのはマトリョーシカの様な構造を持っています。一番外が母親で、中に小さな子供が入れ子みたいに入っていて、日露経済協力にも同様の構造があります。一番外側はサハリン、つまり石油とガスと電力のエネルギー関係が一番外側にある。エネルギーは直近から、つまり中近東からではなく、隣のサハリンから持ってくる方がリスクは少なく、調達先も多角化できるメリットがある。ガスは現在、液化天然ガスで入りますが、液化せず、生ガスで持ってくる。この問題は朝倉堅五さんが非常に綿密な論文に書いています。今そのチャンスなので、是非これを実現したい。電力は、日本の法律があって、おいそれとは行かないけれども、経済的には非常に安い電力を買うことができる。そのような相対的に安い3つの主要エネルギーがサハリンから輸入される(可能性が)ありますから、北海道の経済には非常にプラスで、こういう安い電力やガスや石油を使って、北海道の経済を、つまり中小企業を起業する潜在的チャンスを活かすべきです。

 マトリョーシカの第二の層は、中小企業関係であり、第三層は貿易・投資関係です。それぞれについて、論ずべきですが、時間の関係で省略します。次に、結論的な事ですが、要するに四島か二島かについては、私は二島プラスαの論者で国後と択捉は帰らないと思う。国後と択捉はロシアにとり、軍事的・経済的に日増しに価値が増えている。国後と択捉に固執すべきではなく、潔くこれは要らないとし、むしろ返還が約束されている歯舞と色丹に関して、もっと早く交渉を始めたら良い。これが、解決可能性のあるリアリティを持った選択肢であると考えています。

プーチン氏は対日関係を重視しているようです。日露の経済関係は発展していますが、プーチン氏に言わせるとまだまだ弱く、中国と比べても、日露の経済関係がもっともっと大きくならないと、信頼関係の醸成に結びつかないという風に言っています。

 最後に、よく「食い逃げ論」がありますが、私はこれには同調しません。つまり、ビジネスは民間ベースで始まっている訳で、政府が幾らやれやれと言ってもだめなのです。企業家は、ちゃんと計算に基づいて、メリットがあるならやるがメリットが無いならやらないと、市場経済の論理が働いている訳です。そういう意味で「食い逃げ論」というのはおかしいと考えています。以上です。どうもありがとうございます。

 

コメント④:朝妻幸雄  日露経済交流コンサルタント代表

 私は、実際にビジネスをロシアで推進している立場から、いわゆる日露の経済協力について若干コメントさせていただきます。

 まず、現地の経済状況です。実は4月末にも今年2度目の訪露をしてきました。去年も実は5回ほど行っていますが、メディアその他を通じて我々日本人が感じているほど、ロシアの経済は決して悪くはないと述べておきたく思います。去年の12月15、16日の安倍・プーチン会談のあと、日露の経済関係は画期的な変化が始まっています。この事実も認めなければなりません。政府主導で日露の経済関係がポジティブトレンドに変わってきています。各論は別な機会に譲りますが、申し上げたいことはこの機会を出来るだけ利用していかなければならないと感じています。

 次に経済協力プランの8項目です。8項目のうち、3番目「中小企業交流・協力の抜本的解決」、8番目「人的交流の抜本的拡大」が特に重要です。二つが特に重要なのは、他の1,2,4,5,6,7はどれも大企業絡みの案件だからです。大企業は市場調査能力もあり、支店がモスクワあるなど、放っておいてもやれるし、今もやっているということです。大事な分野は殆ど進んでいない中小企業同士のビジネスです。

 そこで、一連の8項目提案に絡んだ、民間経済協力に関する協定ですか。80項目ほど締結されている訳です。中身を丁寧に見ていくと、何も12月15、16日の首脳会談以降にできたものではなく、以前からずっとやってきたものを集めてリストにしただけなのです。中小企業交流に関するものは入っていない。第3番目に関するものはJETROが包括的に「日露中小企業の交流と協力の抜本的拡大」という形で署名したものがたった一つあるだけです。これも政府間包括協定です。政府主導のアプローチは歓迎すべきですが、その中身はすべこれから作っていかなければなりません。その具体化に向けて政府もJETROを中心に真剣に取り組む必要があります。問題は民間が真剣にロシア市場を見つめることです。

 そうした点を痛感しているところです。

 もう一点、第8番目の「人的交流の抜本的拡大」です。私は長年、日露関係を見てきましたが、領土問題にしても、その他の問題にしても、日ロ関係がなかなか進展を見ないのは、両国の国民同士の相互理解がほとんど進んでいないことが根本理由と思っています。

 両国の旅行者数を見ても歴然です。中国からの訪日旅行者数は約637万人もいますが、ロシアからの訪日旅行者数は約5万5千人で百分の一以下です。サハリンと北海道の距離は42キロしかく、物理的には、日本は中国よりもロシアに近い国です。しかし、日本とロシアは、お互いの交流が全くできていない。何故かといえば、日本人がロシアというと、遠く離れたモスクワとサンクトペテルブルグしか見ていない。隣国という意識を持っていないのです。まずそこから抜本的に変えていく必要があると思います。そういう意味で、私は第8番目が大変重要であるということを申し上げている訳です。

 それ以外は、お手元の配布資料にざっくり書いてございます。お時間ある時に是非ご覧下さい。という訳で、私のコメントに変えさせて戴きます。ありがとうございました。

 

コメント⑤:矢島隆志 日露エコノミクスセンター代表取締役

 私は東京から朝着いたばかりで、お二方の意見も今日初めてお聞きしました。日露経済協力について、少し私の知っている範囲のことをコメントさせていただきたく思います。

 まず、経済協力8項目の方が、どちらかと言えば東京サイドでは関心の高いことでして、実はこれがかなり進行しているのが現状です。例えば、経済協力の第2番目の「快適・清潔で住みやすく、活動しやすい都市作り」という項目があります。これも具体的に、対象が中央部のヴォロネジと、極東のウラジオストクという二つに絞られていて、既にマスタープランができています。これは国交省の所管ですが、このマスタープランに基づき、既に2回の会議が開かれ、50数社の企業がロシア側と議論をしています。具体的には、交通信号のコントロールとか、住宅の建設、廃棄物処理の処理場の建設などの、具体的なプロジェクトが既にタイムテーブルに乗っています。こういう状況で、前回の議論の場に私も出たのですけども、ロシア側は早くこれを完成させて自分たちの持ち札の一つにしたいと考えています。日本側は、それはちょっとスケジュール的に難しいというようなやり取りがあったという状況になっています。

 現在、ウラジオストクのプランが、その後かなり詰められていて、次の会議の場ではウラジオストクのある沿海地方から、7つの具体的なプロジェクトで、日本企業を公募して欲しいとの要望が出ています。具体的には、魚市場を新設する建設に参加して欲しいとか、立体駐車場を作るプロジェクトに参加して欲しいとか、それからユーティリティのネットワークを作る件で、もうマスタープランで決まったものですが、これに参加する企業を募って欲しいというような形で7つの項目について具体的な案が出ているという状況です。

 私の知るかぎり、こういう事業に参加する企業は、今までほとんどロシアに出たことのない企業が中心です。決して大企業ではないが中堅よりちょっと上の企業が、新たにロシアに対して意欲を示している状況があり、それがいろいろなプロジェクトに広がってきています。こういうプロセスを見ると、今まで政経不可分という状況で経済的なものが単独ではなかなか動けなかった状況が、拡大均衡という状況で経済と並行して政治が動く、政治と並行して経済が動く、というように別々な動きが見られるようになってきたのが、大きな注目すべきところではないかと思います。そういう意味では、こういう関係が新しい日露関係を作っていく一つの大きな要素になっていくのではないかと私は思っています。それが新しい日露関係の基盤になるという、これは下斗米先生が仰っている新しい日露関係と一致しているかどうかは別として、新しい日露関係がどんどん構築されている感じがします。今まであったような、ロシアに対するアレルギーが非常に低下してきて、そしてロシアに進出することに余り躊躇しない企業が沢山出てきているという状況は、今までにないような新しい状況ではないかと感じています。そうした点もどうお考えになっているのか、これもお聞きしたい点です。という事で私のコメントを終わらせていただきます。

 

「北東アジアにおける北海道:危機と機会」
    境界地域から考える北東アジア~国際関係を考える

 ハイエック調査研究部上席研究員 高田 喜博

 

スラ研公開講座(研究員コラム) (←印刷用PDF)

【事業名】 

平成29年度第1回国際情勢セミナー

『日ロ関係の展望~「日ロ経済協力」と「共同経済活動」の行方』

 

【実施時期・場所】 

2017年5月10日(水曜)

北海道大学学術交流会館小講堂

 

【事業内容】 

*主催:NPO法人ロシア極東研

北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター

公益社団法人北海道国際交流・協力総合センター(ハイエック)

 

*後援:北海道、札幌商工会議所、北海道新聞社など

 

*参加者 約120名

 

*登壇者など

来賓挨拶 アンドレイ・ファブリーチニコフ 在札幌ロシア連邦総領事

基調講演

①下斗米伸夫 法政大学教授

②本田 良一 北海道新聞社編集委員

コメンテーター

①岩下 明裕 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授

②田畑伸一郎 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授  

③望月 喜市 北海道大学名誉教授

④朝妻 幸雄 日露経済交流コンサルタント代表 

⑤矢島 隆志 日露エコノミックスセンター(株)代表取締役

 

ハイエック、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター、NPO法人ロシア極東研が主催する、第1回国際情勢セミナー『日ロ関係の展望~「日ロ経済協力」と「共同経済活動」の行方』が、5月10日に北大学術交流会館において開催された(参加者は約120名)。

このセミナーでは、アンドレイ・ファブリーチニコフ在札幌ロシア連邦総領事の来賓挨拶に続き、下斗米伸夫法政大学教授の『日ロ関係史からみた首脳会談の成果と共同経済活動の意義』と本田良一北海道新聞社編集委員の『日ロ漁業の実態と共同経済活動』の二つの基調講演がなされた。その後、岩下明裕北大スラブ・ユーラシア研究センター教授、田畑伸一郎北大スラブ・ユーラシア研究センター教授、望月喜市北大名誉教授、朝妻幸雄 日露経済交流コンサルタント代表、矢島隆志日露エコノミックスセンター(株)代表取締役の5名のコメンテーターから、それぞれの専門分野に応じたコメントがなされ、最近の日ロ関係の動きをも踏まえた首脳会談の成果や共同経済活動、そして、今後の日ロ関係について議論がなされた。

 

下斗米伸夫 法政大学教授

 

本田 良一 北海道新聞社編集委員

 

 

 

岩下 明裕 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授

 

田畑伸一郎 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授

 

望月 喜市 北海道大学名誉教授

 

朝妻 幸雄 日露経済交流コンサルタント代表

 

矢島 隆志 日露エコノミックスセンター(株)代表取締役

 

会場全景

ボーダーツーリズム報告「サハリン(樺太)北緯50度国境紀行」

 ハイエック調査研究部上席研究員 高田 喜博

 

 

 

 

はじめに

 2016年8月27日から31日の日程で北都観光(稚内市)が「サハリン北緯50度国境紀行」を実施した。これは、季刊『北方圏』(176号44頁以下など)でもたびたび紹介してきたボーダーツーリズムの一環であり、境界地域研究ネットワークJAPAN=JIBSN=(代表幹事・長谷川俊輔根室市長)や北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター境界研究ユニット(代表・岩下明裕教授)などが協力しており、JIBSNのメンバーでもあるハイエックからは筆者が参加した。本稿は、その報告である。

 

 

北海道を取り巻くボーダー

 日本人の多くはボーダー(国境ないし境界など)を意識することなく生活しており、そのためボーダーを観念的かつ固定的に捉えている。しかし、ボーダーは固定されたものではなく、歴史的に変遷するものである。

 例えば、日本とロシア(帝政ロシア、ソビエト連邦、ロシア連邦)のボーダーの変遷について見てみよう。1855年に江戸幕府と帝政ロシアが締結した「日本国魯西亜国通好条約」(下田条約)によって、択捉島とウルップ島との間に国境が画定され、樺太(サハリン)については国境を画さずに「これまでの仕来り通り」(雑居地)とされた。明治になって、1875年の「樺太・千島交換条約」(サンクトペテルブルグ条約)によって、樺太を放棄する代わりに千島列島の全てを取得した。日露戦争では、日本の勝利がほぼ確定してから、戦後交渉を有利に展開するために日本は樺太全土を占領し、1905年の「ポーツマス講和条約」で北緯50度以南の樺太を獲得した。

 ところが、1945年8月9日にソ連は「日ソ中立条約」を一方的に破棄し、満州、南樺太、千島に侵攻を開始した。北方四島について見れば、日本がポツダム宣言を受諾した14日の後、28日に択捉島を、9月1日に国後島と色丹島を占領し、さらに、日本が米戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印した9月2日の後、9月3日から5日にかけて歯舞群島を占領した(南樺太の占領については後述する)。

 1951年の「サンフランシスコ講和条約」で、日本は千島列島ならび南樺太に対する全ての権利を放棄した(当時のソ連はこの条約に調印していない)。このように、ボーダーが大きく変遷してきたし、その一部は現在も確定していない。

 こうした歴史の中で、北海道には交流と対立の複雑な歴史が生まれ、日本人やロシア人だけでなくアイヌなどの北方少数民族を含めた多くの人々の生活があり、また、ドラマがあった。現在、それらは、多様なボーダーツーリズムの魅力を提供している。

 今回は、そうした魅力の一つとして、日本が南樺太を支配していた「日本統治時代」(1905年~45年)の歴史的風景を求め、当時の日ソ国境線であった北緯50度線まで旅をした。

 

札幌からユジノサハリンスクへ

 物見遊山的な従来の観光とは異なり、ボーダーツーリズムでは境界地域における「比較」「学び」「体験」というスタディツアー的な要素が重要となる。従来は、稚内とサハリンを観光することで、容易に「比較」「学び」「体験」することができた。しかし、稚内港・コルサコフ港の定期フェリーを運行していた日本の会社が撤退し、2015年度を最後に休止していたので、新千歳空港・ユジノサハリンスク空港の定期便を利用せざるを得ず、稚内を観光することができなかった(その後の航路の復活については、吉村慎司「サハリン航路復活」〔季刊『北方圏』177号、2016年〕42-44頁参照)。

 そのため、8月27日の渡航前に、札幌市の道庁赤レンガ(北海道庁旧本庁舎)2階にある「樺太資料館」に立ち寄り、サハリンの歴史や文化、太平洋戦争や引揚などに関する展示を前に、北海道大学の井澗裕研究員の解説を聞いた(参考:井澗裕編著『稚内・北航路-サハリンへのゲートウェイ』国境地域研究センター、2016年など)。

 

001札幌1

「井澗裕氏の解説で、北海道庁旧本庁舎2階の「樺太資料館」で事前勉強をした。」

001札幌2

「ここには樺太の歴史や文化、戦闘や引揚の様子、その後の交流に関する展示がある。」

 

 その後、各自で新千歳空港へ移動し、19時発のオーロラ航空(旧サハリン航空)でユジノサハリンスク(旧豊原)に向けて出発した。1994年に函館・ユジノサハリンスク線が開設されて以来、ロシア製のプロペラ機アントノフ24が就航しており、2000年にはそれに搭乗したことがある。2001年に新千歳・ユジノサハリンスク線が開設された当初はボーイング737が使用され、2007年にはそれに搭乗した。現在はプロペラ機ながら全日空も使用しているカナダ製ボンバルディアに変わっていた。

 予定の飛行時間80分より幾分早くユジノサハリンスク空港に到着して入国審査をすませた。近年のサハリン渡航は、フェリーを利用していたいので、数年ぶりの空港であった。以前より小ぎれいになったとの印象を持った。

 

ドリンスク(旧落合)周辺

 翌28日の朝9時、一行24名(男性17名、女性7名)は専用バスでホテルを出発した。現地ガイドのエレーナさん、稚内在住の写真家斉藤マサヨシ氏が同行し、北都観光の米田正博氏が添乗した。エレーナさんは、交流団や墓参団などのガイドを務めてきたベテランで、流ちょうな日本語を話すだけでなく、大変な勉強家で豊富な知識を有する。また、斉藤氏は、サハリンの自然と人々の営み、そして日本統治時代の風景を追ってサハリン各地を回り、現地の人さえ知らない深いサハリンを知っている(参考:HPはhttp://westen.jp/)。また、長年にわたりサハリン旅行を企画・実施してきた経験を持つ米田氏には、最初の稚内・サハリンのボーダーツーリズムでもお世話になっている。この3人(+筆者)は、スタディツアー的な要素を有するボーダーツーリズムとって不可欠な存在である。

 

 まず、ユジノサハリンスクの北方43キロに位置するドリンスク(旧落合)でかつての製紙工場跡を遠望し、さらにオホーツク海に面するスタロドゥプスコエ(旧栄浜)で宮沢賢治の足跡を追った。賢治は、1923年の夏、花巻から二つの海峡を渡って、当時日本最北の駅であった栄浜駅にたどり着いた。前年秋に亡くなった妹トシを思いながらの傷心旅行であった。この旅の途中で『銀河鉄道の夜』などの作品で使用される多くのアイディアを得たと言われている。しかし、かつての鉄道は1990年の初めに廃線となっており、既に建物は完全に消滅し、線路も撤去されてしまった。今は、ガイドの案内がなければ、駅の痕跡を探すのも困難である。それにもかかわらず、多くの日本人がここを訪れるため、地元では案内板を建てる計画があるそうだ。

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「王子製紙落合工場跡の廃墟を道路から遠望する。」

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「かつて宮沢賢治が訪れた栄浜駅の痕跡を探す。」

 

ウズモリエ(旧白浦)へ

 さらに北上してウズモリエ(旧白浦)の海岸近くで、白浦小学校(樺太公立白浦国民学校)と白浦神社の跡を訪ねた。ここでも建物などは完全に消滅しており、石造りの奉安殿と鳥居だけが雑草の中にひっそりと遺っていた。

 ウズモリエ駅の駅前には、小さな売店の他、タラバガニやハチミツを売る露店がならんでいた。参加者たちは、大きなカニの写真を撮らせてもらったり、ハチミツやアイスクリームを買ったりして、地元の人たちとほんの少しの触れあいをすることができたようだ。田舎はどこも善い人が多い。ここウズモリエも例外ではなかった。

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「ウズモリエ(旧白浦)の白浦神社跡があった丘の中腹に鳥居だけが遺っていた。」

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「ウズモリエ駅前には大きなカニや地元のハチミツを売る露天が並んでいた。」

 

マカロフ(旧知取)へ

 日本統治時代には知取(しるとる)と呼ばれていたマカロフに到着。現在は人口約6,500人の町だが、日本統治時代は富士製紙(後に王子製紙)の工場と知取炭鉱があり、1941年頃には約18,000人が暮らしていた。ツアーの中に、終戦の前後、この町の小学校(樺太公立知取第一国民学校)に通っていたというW氏がいて、当時の知取の生活、そして、ソ連占領下の樺太や引き揚げの様子などについて、いろいろと聞くことができた。

 W氏の話では、1943年11月24日、その小学校の授業中に火災があり、男子学生23名が犠牲になったそうだ。近年、旧知取出身者たちが小学校跡の一角に慰霊碑を建立した。皆で一緒にその慰霊碑を訪ね、事件の話を詳しく聞かせてもらい、献花をした。

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 「かつて知取神社があった丘から旧王子製紙工場(奥の煙突周辺)を遠望する。」

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「1943年に起きた小学校の火災事故の慰霊碑の前で当時の話を聞き、皆で献花した。」

 


 ユジノサハリンスクから北へ288キロほど移動して、この日の宿泊地であるポロナイ川の河口に位置するポロナイスクに到着した。日本統治時代には日本最北の「町」であり、敷香(しすか)と呼ばれていた。当時は国境に近い北部の中心都市で1941年頃の人口は約30,000人であったが、現在は約15,000人で、1972年から北見市と姉妹関係にある。
ポロナイスク(旧敷香)へ

 ここで最初に案内されたのは、きれいに清掃された小さな公園内にある第48代横綱・大鵬(納谷幸喜)の銅像だった。大鵬は、ロシア革命後に樺太へ亡命したウクライナ人(コサック騎兵将校)と日本人女性との三男として1940年5月29日にこの地で生まれた。この公園は生家があったとされる場所だという。彼が5歳の時にソ連軍が侵攻してきたので、母親と最後の引揚船「小笠原丸」に乗船したが、母親の体調不良により稚内で下船せざるを得なかった。その後、小樽港を目指した小笠原丸は、留萌沖で国籍不明の潜水艦の攻撃を受けて沈没して乗員乗客638名が死亡した(三船殉難事件)。大鵬死去の翌2014年に、その功績をたたえて、この銅像(高さ2.3メートル)が建立された。ガイドさんの話では、ポロナイスク市民も大鵬を敬愛しており、その除幕式は市の創建145周年祝賀行事の一環として行われたそうだ。そういえば、東京のウクライナ大使館にも大鵬の等身大の写真が飾られていると聞いたことがある。

 翌朝は、ポロナイ川の河口へ行った。今も昔も、対岸の中州に通じる橋はない。そのため、2隻の小さな渡し船(自動車2台を積載できる)があり、それで対岸に渡った。ここは「オタスの杜」と呼ばれ、昭和初期に日本政府が指定(強制)した北方少数民族の居住地であった。ウィルタ(オロッコ)、ニヴフ(ギリヤーク)、ウリチ(ナーニ)、エヴェンキ、サハ(ヤクート)などの5民族が暮らし、また、学校(土人教育所)が設置され日本語教育(皇民化教育)がなされた。ここでは、1997年8月15日に遺族会によって建立された「サハリン少数民族戦没者慰霊碑」を訪ねた。当時の日本軍は、ソ連軍の南樺太侵攻に備えて、国境を自由に行き来できて、言葉や地理にも明るい彼らを招集・徴用して諜報活動や戦闘に利用した。その多くは戦死し、生き残った者は日本人将兵と共にシベリヤの強制収容所へ送られた。しかし、戦後、日本政府は日本国籍を有しない彼らに対して、なんの謝罪も補償もしなかった。ウィルタ語、ニヴフ語、ロシア語と日本語で「安らかに眠れ」と刻まれた碑の前で、そうした負の歴史を学んだ。ソ連時代になって少数民族とロシア人との混血が進んだが、彼らの多くがこの地を故郷とし、毎年開催される少数民族の祭りの会場でもあった(最近、祭り会場が町の中心部に移ったらしい)。

 町を出る前に、旧王子製紙敷香工場の廃墟に立ち寄り、その敷地内を歩くことができた。想像以上に大きな工場で、かなり見応えがあった。現在、日本統治時代に建設され、今は廃墟となっている9つの製紙工場跡を観光資源(産業遺産)にしようという動きがある。

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 「ポロナイスク市内の良く整備された公園内に建つ横綱大鵬の銅像」

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「ポロナイスク駅に隣接する操車場にかつての敷香駅のホーム跡や防空壕が遺っていた。」

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「オタスの杜に建つ『サハリン少数民族戦没者慰霊碑』」

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「旧王子製紙敷香工場の廃墟。右は日本時代、左の白い部分はソ連時代の建物である。」

 

北緯50度付近

 我々を乗せた専用バスは、ポロナイスクを出て北へ向かった。ポロナイスクから約73キロでスミルヌイフ(旧気屯)であり、さらに約12キロでポペジノ(旧古屯)、そして約15キロで日本軍の最前線であったハンダサ(旧半田沢)である。日本統治時代の終わり頃に、敷香から北へ軍用道路と軍用鉄道が整備され、1943年に気屯駅が、1944年に古屯駅が開設された。軍用鉄道であったため、時刻表に乗らない駅であったが、開設当時は日本最北の駅であった。

 道路はツンドラの森林地帯をほぼ一直線に走る未舗装道路のみ。おそらく、日本軍が整備した軍用道路(中央軍道)であったと思われる。現在は、あちこちで道路工事がなされていた。その道路脇にソ連時代に建てられた「ソ連軍戦勝の碑(領土奪回の碑)」があった。南を指し示す大きな白い矢印のオブジェで、「ソ連赤軍は古来ロシアの地であった南サハリンを解放した」と記されている。赤い50の文字もあるが、これは旧国境・北緯50度線上に建てられていることを示している。その周囲は、きれに整備・清掃されていた。

 この碑の脇を通り抜けて裏の小道を西へ40メートルほど行くと、かつて国境標石が設置されていた台座を、雑木林の中に見つけることができる。思ったより小ぶりで一部は損壊し、荒れるがまま放置されていた。

 1938年1月3日に、女優の岡田嘉子と演出家の杉本良一が国境を越えてソ連に亡命(駆け落ち)した事件の舞台でもある。二人にはスパイ容疑がかけられ、引き離されて厳しい取り調べを受けた。その後、モスクワで有罪判決を受け、岡田には10年の刑が言い渡され、杉本は銃殺刑になった。

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 「北緯50度線上に建つ『ソ連軍戦勝の碑』」

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「同じく北緯50度戦上に遺る国境標石の台座」

 

国境標石

 日露戦争後、1905年のポーツマス条約で北緯50度線が新しい国境線となり、日露の陸軍国境策定委員会による国境画定作業が開始された。具体的には、天文観測に従い天第1号から天第4号まで4基の国境標石が設置され(「天」は天文観測で設置されたことを表わす)、その間には6キロごとに17基の中間標石が、さらに19ヶ所に木標が建てられた。このラインに沿って、樹木が幅18メートルで伐採され、溝が掘られ、東西約132キロに及ぶ一直線の国境線(ボーダー)が築かれた。

特に重要な4基の国境標石は、高さが64センチ程度で将棋の駒の形をしていた。最も東のオホーツク海側の鳴海に設置された天第1号はサハリン州郷土博物館に、天第2号は根室市歴史と自然の資料館に、それぞれ収蔵されている。今回のツアーで台座を確認した天第3号の行方は不明である(日本統治時代に作られたレプリカがサハリン州郷土博物館にある)。最も西の間宮海峡側に設置された天第4号は、北海道新聞相原秀起記者の取材によれば、ロシア人(私人)が密かに所有しているらしい。

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「サハリン州郷土博物館所蔵の「天第1号」標石の南面には菊花章と日本語が刻まれている。」

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「その北面にはロマノフ王朝の紋章(双頭の鷲)とロシア語が刻まれている。」

 

南樺太での戦闘と慰霊碑

 1913年に樺太守備隊が廃止されて以来、国境地帯は軽武装の国境警察隊によって守られていた。その後、1939年に樺太混成旅団が創設され、対米戦に備えて兵力はしだいに増強されていった。1945年2月には、本土決戦を意識して第88師団に再編された。しかし、軍の編成・配備について、樺太大泊出身の工藤信彦氏は「樺太がひたすら、北海道防衛の防波堤であったことは歴然としている」と書いている(工藤信彦『国境幻想』「日本の国境・いかにこの『呪縛』を解くか」〔北大出版会、2010年〕所収)。60万人の日本人が暮らしていた沖縄同様、40万人が暮らす南樺太も本土決戦の時間稼ぎのための捨て石と考えられていたのかもしれない。

 1945年8月9日に「日ソ中立条約」を一方的に破棄して対日参戦したソ連は、8月11日に南樺太に対する侵攻作戦を開始した。第79狙撃師団と第214戦車旅団を基幹とするソ連の第1梯団が国境線を突破した時には、最前線の半田沢には日本軍の歩兵2個小隊と国境警察隊の約100名のみが配置されていた。圧倒的な兵力差にもかかわらず、一昼夜にわたり陣地を守り抜き、翌12日にほぼ全滅した。その後も古屯北西の八方山付近に布陣した日本軍との間で激しい戦闘が行われた。ポツダム宣言を受諾した後も戦闘は続き、20日のソ連軍の真岡上陸作戦では、無差別攻撃によって多くの住民が犠牲になり、また、真岡郵便局では電話交換手の自決事件も起きた。次いで22日には、豊原が空襲を受けたが、同日に停戦協定が成立し、翌23日には豊原が占領された。そして、25日の大泊占領をもって南樺太における戦闘はほぼ終了した。それまでに1,062人が戦死し、ソ連軍もそれ以上の戦死者を出した(日本側の推定)。

 また、この南樺太の戦闘に一般市民も巻き込まれ、また、ソ連軍の暴行・略奪もあって、本当に大きな犠牲を払った。一般市民の犠牲は死者だけでも、疎開船撃沈の約1,708名を含めて4,064人であった(樺太資料室の展示)。

 現在、50度線付近には日本軍のトーチ跡が残る他、「ソ連戦争犠牲者の碑」「日ソ平和友好の碑」「樺太・千島戦没者慰霊碑」など建てられている。

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「道路脇に遺る日本軍のトーチカ跡」

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「ソ連軍兵士の慰霊碑」

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「『樺太・千島戦没者慰霊碑』の全景」

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「『樺太・千島戦没者慰霊碑』での献花」

 

ソ連に占領された南樺太

 終戦当時に南樺太にいた約40万人の内、緊急疎開などで脱出できたのは約10万人。残りの30万人は、製紙工場や発電所などを稼働させ、従来の生産体制を維持するため帰還を禁止された。ソ連政府は、ドイツとの戦争で壊滅的な打撃を受けたウクライナなどから、緊急にロシア人をサハリンへ移民させた。その結果、住宅不足から日本人とロシア人の共同生活をしなければならないという事態も生じた(参考:エレーナ・サヴェーリエヴァ『日本領樺太・千島からソ連領サハリン州へ』成文社、2015年)。

 1946年12月になって米国とソ連の合意による帰還が開始され、帰還事業は49年7月まで続いた。しかし、帰還できたのは日本人だけで、韓国・朝鮮人は残留せざるを得ず、また、彼らと結婚した日本人女性も夫と離別しなければ帰還できなかった。

 その後、1956年に日ソ共同宣言が出されて、日本人妻を持つ韓国・朝鮮人の引き揚げが可能となった。この時、日本国籍を有する妻と子供だけは日本政府から帰還手当が支給されたが、韓国・朝鮮人の夫には手当はもちろん移動中の弁当も支給されなかったという(参考:高木健一『サハリンと日本の戦後責任』凱風社、1990年など)。

 

夜行列車

 ユジノサハリンスクから北緯50度線まで約400キロを専用バスで移動してきたが、帰りはスミルヌイフからユジノサハリンスクまで363キロを夜行寝台列車604号で帰った。そもそもサハリンにおける鉄道は、日露戦争後に南サハリン(南樺太)を取得した日本が、1906年にコルサコフからユジノサハリンスク(当時はウラジミーロフカ)までの37.7キロメートルに、ゲージ600ミリの陸軍軽便鉄道を敷設したことに始まる。その後、内地と同じ規格の1067ミリ(狭軌)に改修され、日本統治時代の南樺太の発展と共に延長されていった。所管も陸軍から樺太庁鉄道へ、さらに鉄道省樺太鉄道局が発足して国鉄に移った。

 敗戦後はソ連軍に接収された。しかし、ソ連の規格は1520ミリ(広軌)であり、大陸のワニノ港とサハリンのホルムスク(旧真岡)港を結ぶ鉄道連絡船で輸送されてきたソ連規格の貨車は、ホルムスクで台車交換を行う必要がある。現在、間宮海峡に橋かトンネルを建設して大陸とサハリンを結ぶ計画があり、サハリン内の鉄道も、いずれは全て広軌に改修されるであろう。実際に、マカロフで見た鉄路は、いつでも広軌に換装できるような枕木になっていた(次頁の写真参照)。

 日本の鉄道のプラットホームは高床式で、ホームと列車の乗降口との高低差はないが、サハリンの場合は階段をよじ登らなければならない。荷物を抱えて夜行寝台列車によじ登り(乗り込み)、4名用の寝台コンパートメントに乗り込んだ。これを2名で使うというのであるから贅沢ではあるが、問題は車内での飲酒を禁止する規則だ。車掌ではなく、拳銃を携帯して巡回していた2名の警察官に2度も注意を受けた。しかたなく、ミネラルウォーターのボトルにウオッカを入れ、皆で宴会を続けた。

 翌朝5時、突然、大音量の音楽が車内に流れ、たたき起こされた。到着まで1時間もあるのだが、これが起床の合図らしい。早朝のユジノサハリンスク駅に到着して驚いたのは、昨夜にスミルヌイフ駅で分かれた運転手とバスが、今朝はユジノサハリンスク駅前に迎えに来ていたことだった。昼間は道路事情の悪いサハリンでバスを疾駆させ、夜も一人で長距離を移動してきた運転手さんに感謝した。

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「各自に配られた鉄道切符」

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「広軌の線路を敷設するスペース(左)がある枕木」

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「4名用の寝台コンパートメントの内部」

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「絨毯が敷かれ、壁にコンセントがある車内通路」

 

プリゴロドノヘ(深海村女麗)へ

 ホテルに入って一休みしてから、再び専用バスで液化天然ガス(LNG)の工場があるプリコドロノヘ(旧深海村女麗)に向かった。サハリン北東の大陸棚で行われている石油・天然ガス開発を「サハリンプロジェクト」と呼ぶが、さらに鉱区別に1~6のプロジェクトに分かれており、その中の「サハリン2」の関連施設がプリゴロドノヘにある。北東の海底から産出された石油・天然ガスが、1000キロメートルものパイプラインで輸送される。天然ガスはここで液化され、それぞれタンカーで日本や中国や韓国などへ積み出されている。サハリンの経済発展にとって、このサハリンプロジェクト関連の経済効果(直接収入や雇用の確保など)は重要である。

 この工場と桟橋を見下ろすことができる高台に、日本統治時代に「日本軍上陸記念碑」と「忠恩塔」が建てられたが、現在は無残にもそれらは倒されたまま放置されている(写真参照)。それが、かえって複雑なボーダーの歴史を表しているとも言えよう。

 工場の沖に積出桟橋とタンカーが見えるが、それは大型タンカーが接岸可能な水深があることを示している(写真参照)。日露戦争の勝利をほぼ手中にした日本軍が、1905年7月7日にこの地に上陸作戦を行ったのも、この水深があったからある。

 

 こうして、かつてのボーダー(北緯50度)と新旧のサハリンを訪ね、日本統治時代の南樺太の面影を追った旅は終わった。

 

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「プリゴロドノヘの液化天然ガス工場」

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「工場から伸びる積出桟橋に接岸するタンカー」

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「上陸記念碑の台座の向こうに積み込み中のLNGタンカーを見ることができる。」

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「倒されたままの上陸記念碑には「遠征軍上陸記念碑」と刻まれていた。」

アジアの経済成長と北海道の「観光立国」

~世界経済のグローバル化と外国人観光客6000万人時代の北海道の観光~  

 

公益社団法人北海道国際交流・協力総合センター調査研究部

上席研究員 高田喜博

 

*本稿は季刊北方圏177号56頁掲載記事の拡大版(2016年10月17日版)である。

 

はじめに

 「観光立国懇談会」や「観光立国推進法」など、「観光立国」という言葉は目新しいものではない。しかし、最近は「インバウンド」の拡大や「爆買」などと共に、「観光立国」というキーワードを目にする機会が多くなった。昨年はデービット・アトキンソンの『新・観光立国論』(2015年、東洋経済新聞社)、寺島実郎の『新観光立国論』(2015年、NHK出版)が、あいついで出版されている。そこで本稿では「観光立国」に関する国の政策や北海道の施策を概観すると共に、内外の統計、関連する用語、資料などを確認しつつ、世界経済のグローバル化の流れの中で北海道の観光立国について考えてみたい。

 (なお、国内観光客の拡大も重要な課題ではあるが、本稿では主に外国人観光客について考える。また、具体的な現場の取り組みなどについては、季刊北方圏に連載されている永山茂『北海道観光の現場から』などを参照。)

 

 

これまでの日本の「観光立国」

 2001年度、日本人海外旅行者数が年間1千622万人であったのに対し、訪日外国人旅行者数は年間477万人で、旅行収支[1]は3兆6千億円の赤字であった。こうした状況を受けて、小泉純一郎内閣(当時)は、2003年1月に「観光立国懇談会」[2]を開催し、同年4月には外国人旅行者の訪日を促進する「ビジット・ジャパン・キャンペーン(訪日プロモーション事業)」を開始した。また、2006年12月に「観光立国推進基本法」[3]が制定され、2008年に国土交通省の外局として観光庁が設置された。

 当時は2010年までに訪日外国人を年間1千万人にするという当初目標が設定されたが、2007年の世界金融危機とその後の世界的な不況、2011年の東日本大震災と原発事故などに影響されて苦戦した。しかし、2013年には年間1千36万人に達し、その後は大きく拡大を続け、2014年は1千341万人、2015年は1千974万人と2年間で約2倍となった。これにともなって、2014年の旅行収支も55年ぶりに黒字に転じ、2015年度は1千31億円の黒字となった。

 また、UNWTO(国連世界観光機関)[4]による国際観光客到着数(international tourist arrivals)の世界ランキングでも日本は、2013年に27位、2014年に22位、2015年に16位と順位を上げてきた。

 

 

最近の日本の「観光立国」

 現在、安倍晋三内閣は、観光を成長戦略の柱の一つとし、かつ、地方創生の切り札と位置づけている。そして今年(2016年)6月に閣議決定したGDP600兆円に向けた成長戦略「日本再興戦略2016」[5]の中で、訪日外国人の人数と消費額の新しい目標として、2020年に4千万人と8兆円、2030年に6千万人と15兆円という大きな数値を掲げた。

 2020年の数字を推計することは困難なので、少し乱暴ではあるが前出のUNWTOの2015年のランキングに当てはめてみると4千万人は第6位、6千万人は第4位あたりに位置する(ただし、UNWTOは2010~2030年までの間に毎年平均で3.3%増加すると予測しており、実際に順位はもっと低位となるであろう)。

 

 

北海道の「観光立国」

 観光立国推進基本法が制定された2006年に前後して「北海道観光戦略会議」が開催され、官民一体となって北海道の観光について議論した結果、観光庁が設置された2008年に「北海道観光振興機構」[6]が発足するなど、北海道は国の政策と足並みをそろえるように観光に力を注いできた。そして、昨年10月に道が策定した「北海道創生総合戦略」[7]における、輝く「アジアのHOKKAIDO」創造プロジェクトの中に、「観光受入体制の飛躍的拡充」が掲げられ、また、今年3月に閣議決定された8期目となる「北海道総合開発計画」[8]においても、世界に目を向けた産業の振興の中に「世界水準の観光地の形成」が盛り込まれている。また、観光に力を入れている道内各市町村も独自の観光施策を策定しており、日本の観光政策は国、都道府県、市町村と重層的かつ広範囲に構築されているのが特徴である。他方、縦および横の連携が必ずしも十分ではない、それぞれがバラバラに観光に取り組んでいるとの指摘もなされている。

 ところで、道内客、道外客、外国人を含めた数字(観光入込客数)を見ると、北海道の観光入込客数は、1999年に5千149万人を記録するが、その後は減少して2009年には4千682万人まで落ち込んだ。2010年より観光庁が定めた共通基準が導入され、それ以前の数字と単純に比較できないが、新しい基準で推計された2010年の5千127万人に対して、2011年は東日本大震災の影響で4千612万人まで激減した。その後、徐々に回復して2015年には5千477万人となった。内訳を見ると、2011年は道内客4千068万人(構成比88.2%)、道外客487万人(同10.6%)、外国人57万人(同1.2%)なのに対し、2015年は道内客4千693万人(構成比85.7%)、道外客577万人(同10.5%)、外国人208万人(同3.8%)となっている。伸び率で比較すると総数で+1.9%、道内客は+0.5%、道外客は+1.4%、外国人は+35.0%となり、外国人観光客の増加が著しいのが分かる。

 こうした外国人観光客の増大と政府の新しい目標値の設置に応じて、北海道も、来道する外国人観光客数の目標値を2020年に500万人(従来は300万人)に上方修正することを検討中であるとの報道がなされた(北海道新聞2016年8月5日など)。また、道内主要空港の民間委託の議論の中で、空港民営化懇談会は菅義偉官房長官に2030年に来道する外国人観光客を850万人まで増やすことを柱とする要望書を手渡したとの報道もある(北海道新聞2016年10月17日)。

 

 

北海道の外国人観光客

 2015年度「北海道観光入込客数調査報告書」[9]から北海道の外国人観光客(訪日外国人来道者数)を国・地域別に見ると、中国55万4300人(構成比26.6%)、台湾54万7800人(同26.3%)、韓国29万9500人(同14.4%)、香港16万5100人(同7.9%)、タイ15万5200人(同7.5%)、マレーシア76,300人(同3.7%)、シンガポール4万9800人(同2.5%)を中心にアジア全体で184万8000人(同88.8%)となり、アジアが他地域を圧倒する。

 これを『観光白書』[10]の「訪日外国人の内訳2015年」の数字と比較すると、中国499万人(構成比25.3%)、韓国400万人(同20.3%)、台湾368万人(同18.6%)、香港152万人(同7.7%)、タイ80万人(同4%)、シンガポール31万人(1.6%)、マレーシア31万(同1.5%)でアジア全体は1637万人(同82.9%)となり、全国に比べ北海道はよりアジアに依存し、特に台湾、タイ、マレーシア、シンガポールの比率が高いことが分かる。これは、これらの地域にはない景観、雪や流氷などが魅力となっているからだといえよう。

 

 

アジアに依存する北海道観光

 こうしたアジア依存の傾向は、北海道の観光にとって良いのだろうか、悪いのだろうか。仮に、中国の経済成長率が5%程度になったとしても米国をはじめとする先進国の2倍以上の成長率であり、これからは中国を中心とする大中華圏(香港、台湾、シンガポールなど)がアジアの成長センターになると予想されることから、既に北海道の観光がそうした地域に向いている(アジアの人気を得ている)ことは、北海道の優位性に他ならないと考える。また、季節変動(夏と冬の格差)への対応が長年の課題となってきた北海道にとって、雪や流氷を求めて冬にやって来るアジアからの観光客の存在は重要である。

 将来展望としては、約10年後はインドが中国と並ぶ世界経済の「成長の柱」となるだろう。さらに、その先(西)には、ASEANを凌ぐ市場と期待されている西アジア(中東)・北アフリカ地域(MENA)[11]がある。

 北海道の観光戦略を考えると、東アジア、ASEAN、南アジア(インド)、MENAというルートに沿って、それらの地域の経済発展に応じた市場開発が有効なのではないだろうか。以下で詳しく見てみよう。

 

 

世界経済成長予測と北海道の観光

 世界経済成長予測との関係で北海道の観光を考えてみよう。今年10月に発表されたIMF(国際通貨基金)の「世界経済見通し」[12]によれば、2016年の世界の経済成長率は3.1%で、そのうち先進国(36カ国)は1.6%、日本は0.5%と予測されている。これに対して、新興・途上国(153カ国)の経済成長率は全体で4.2%であり、これを支えているのがアジアの6.5%の経済成長である。その中身を見ると、インド7.6%、中国6.6%、ASEAN5カ国(インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイ、ベトナム)4.8%であり、当面は、これらの国々が世界経済の成長を支えることになるだろう。

 また、米国国家情報会議による『2030年世界はこう変わる』[13]によると、中国の経済成長率は今後2020年にむけて年率5%程度に落ち着くのに対して、2025年までにインドが中国と並ぶ世界経済の「成長の柱」となり、2025年の中国とインドの経済力を合わせると、その世界経済への貢献度は米国とユーロ圏を合わせた規模の約2倍にあたるという見通しを示している。

 輸出関連の製造業の集積が少ない北海道としては、「食」と「観光」が地域経済の持続的発展の鍵となるが、こうした予測を前提にすると、そのターゲットは成長するアジアとなるのは当然だといえよう。そして、前述したように当面は東アジア(中国・韓国・台湾)とASEANであり、その後、南アジア(インド)、西アジア・北アフリカ(MENA)というルートに沿って、それらの地域の経済発展に応じた市場拡大を図ると共に、食と観光を関連させる施策が重要となる。

 

 

UNWTOが示す世界観光の動向

 先に紹介したUNWTOが発行する“Tourism Highlights (ツーリズム・ハイライト)2016”に記載された国際観光の経済効果について紹介しておこう。

 観光は、過去60年間にわたり拡大と多様化を続け、世界最大かつ最速の成長を見せる経済部門の一つであり、観光は時折の予期しない事態の発生にも関わらず、実際に途切れることなく成長を続けた。

 世界全体の国際観光客到着総数は、1950年の2,500万人から、1980年には2億7,800万人、2000年には6億7,400万人、2015年には11億8,600万人と増加し、2030年には18億人に達すると予測されている。また、目的地における国際観光収入も1950年の20億米ドルから、1980年には1,040億米ドル、2000年には4,950億米ドル、そして2015年には1兆2,600億米ドルと急増している。

 国際訪問客による支出は、受け入れ国においては輸出となり、訪問者の居住する国にとっては輸入と考えることができ、多くの国にとってインバウンド観光は重要な外貨獲得源であり、雇用および更なる開発機会を創出し経済に重要な貢献をもたらす。こうした観光の経済効果を考えると、観光に関する国際競争は、いっそう激しくなると予想される。

 

日本経済の低迷と観光

 それにしても、日本経済の低迷は著しい。先に説明したIMFの「世界経済見通し」で、1月に発表された数字と比較すると、先進国関連の数字のほとんどが0.2ポイントの下方修正であったのに対して、日本だけは0.5ポイントも下方修正された。低迷する日本としては、アジアの経済成長を取り込みたいと考えるのは当然である。他方、日本の貿易収支は5年連続で赤字であり、その意味でも黒字に転換した観光収支の拡大は重要な政策課題である。それらに今日の積極的な観光政策の背景があるといえよう。

 

 

まとめ

 観光に関する国際競争に打ち勝つための「戦略」と「戦術」に基づいたハード・ソフト両面での条件整備は不可欠であるが、世界経済と世界観光を展望する限り、先に挙げた2020年に訪日外国人観光客を2000万人、来道する外国人観光客を500万人とする目標は十分に達成可能な数字である。しかし、インバウンドは数ではなく中身(観光消費の額と中身)であり、消費を拡大する施策(地元にお金が落ちる仕組みづくり)が重要となる。実際に、本州資本のホテルや家電量販店における旺盛な消費に比較して、地元資本での消費は限られている。一時的なブームに過ぎない「爆買い」に頼ることなく、地産地消や体験観光などを活用して地元での消費を促すことが重要となる。

 観光客数の目標設定はインフラなどの整備のためには必要だが、知床などに多くの観光客やバスが押し寄せてしまっては、自然を保全することは困難である。また、十分な収益を期待できない格安ツアーには限界がある。観光客と観光とは関係がない一般市民との摩擦やトラブルも回避しなければならない。北海道における「観光立国」の実現のためには、消費額の目標値やそれを達成するための統計がより重要であり、また、豊かな北海道を実現するための中長期の展望あるいはグランドデザインも不可欠だといえよう。

 

 以上は、筆者の個人的な意見であり、本稿に関するご質問・ご意見は筆者に直接お寄せ下さい(takada@hiecc.or.jp)。また、拙稿「アジア・ユーラシア地域の発展の中で考える北海道の観光」(札幌メディア研究所「建設の目」)、「北海道経済国際化の課題:観光立国北海道とロシア極東との地域連携」(都市計画290号、2011年4月)59頁、「北海道のボーダーツーリズムの展開」(月刊地理61号、2016年9月)62頁もご参照ください。

 

 

 
【脚注】

[1]旅行収支とは、日本人旅行者の海外での消費を「支出」、訪日外国人の日本での消費を「収入」とし、収入から支出を引いたもの。国際収支の中の貿易・サービス収支の一部。

 

[2] その詳細については首相官邸HP

【http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kanko/index.html】(2016.10.01)参照。

 

[3] 具体的な内容については観光庁HP

【http://www.mlit.go.jp/kankocho/kankorikkoku/kihonhou.html】(2016.10.01)参照。

 

[4] UNWTO(国連世界観光機関)とは、持続可能で責任ある観光を促進するための国連の専門機関で、世界157ヶ国、6地域及び480以上の賛助会員(民間、学術、観光協会及び地方観光当局)で構成され、観光部門における重要な国際機関として、経済成長の牽引役としての観光を促進し、世界の先進的知識や観光政策の指導及び支援を行っている。

 

[5]首相官邸HP

【http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/】(2016.8.30)

 

[6] 北海道観光振興機構については

【https://www.visit-hokkaido.jp/company/index】(2016.10.1)を参照。

 

[7] 北海道創世総合戦略については道庁HP

【http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/csr/jinkou/senryaku/senryaku.htm】(2016.10.01)を参照。

 

[8] 北海道総合開発計画については北海道開発局HP

【http://www.hkd.mlit.go.jp/kanribu/keikaku/keikaku-suishin/pdf/280329keikaku.pdf】(2016.10.01)

 

[9] 北海道観光入込客数調査報告書については道庁HP

【http://www.pref.hokkaido.lg.jp/kz/kkd/toukei/H27_irikomi_honpen_20160912.pdf】(2016.10.10)

からダウンロードできる。

 

[10] 観光白書は観光庁HP

【http://www.mlit.go.jp/kankocho/news02_000283.html】参照。

 

[11] 中東・北アフリカの20カ国で構成されるこの地域は、中東:Middle Eastと北アフリカ:North Africaの頭文字をとってMENA(ミーナ)と呼ばれ、人口の伸び率、経済規模、経済成長率でASEANを凌ぐ市場と言われ、ポストBRICsとしも注目が集まっている。

 

[12] IMFのHP

【http://www.imf.org/ja/News/Articles/2016/10/03/AM2016-NA100416-WEO】参照(日本語版)。

 

[13] 『2030年世界はこう変わる』“GLOBAL TRENDS 2030”は、4年に1度、米国大統領のために作成される世界潮流に関する報告書である。

 


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