日中国交正常化40周年 北海道・中国交流デジタル資料館

北海道と中国との交流の歴史や
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交流物語
友好

翁琪忠氏作

北海道・黒竜江省友好提携25周年を記念し、札幌在住の書道家、翁琪忠氏に書いていただいたものです。

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北海道と中国の心温まる交流の物語を10のエピソードで紹介します。

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交流物語 北海道と中国の心温まる10のストーリー

3地域が生んだカーリング交流 ~草の根交流からオリンピックへ~

1998年の長野オリンピック。カーリングが初めて正式種目となり、テレビの画面に大きく映し出された北海道出身の日本代表選手たちの活躍に、多くの日本人は釘付けとなりました。そして、2010年のバンクーバーオリンピックでは、カーリングの強豪スウェーデンやカナダのチームに次いで銅メダルを獲得した中国女子チームに、世界中が目を見張り、拍手が贈られました。

世界の舞台でのこれらの活躍は、北海道、中国黒竜江省、カナダアルバータ州の姉妹・友好提携がきっかけで生まれています。北海道とアルバータ州は1980年、黒竜江省とアルバータ州は1981年、そして北海道と黒竜江省は1986年にそれぞれ姉妹・友好提携を締結し、3地域でユニークな交流を進めてきました。

北海道はアルバータ州から学んだ

カーリングの交流は、まず北海道とアルバータ州との間で始まりました。カーリングという競技を見たこともなかった北海道に、1981年1月、カナダから元世界チャンピオン、ウォーリー・ウースリアク氏が招かれ、48名の参加のもと指導者講習会が開催されました。以後、全道各地で講習会が開催され、地域のカーリング協会が続々と設立、1982年には『第1回北海道カーリング選手権大会兼アルバータ杯カーリング大会』が開催されるなど、カーリングは一気に普及していきました。

最初はビールのミニ樽やプロパンガスのミニボンベなどでストーンを自作しながら練習したという常呂町(現在の北見市)に、1988年アジア初のカーリングホールが建設されたことを機に、北海道で国内外の大会が多数開催され、多くの代表選手が輩出されるようになり、日本にもカーリング競技が定着していきました。

次は黒竜江省へ! 3地域交流が始まった。

1986年、北海道と黒竜江省が友好提携を締結したことにより、翌年からアルバータ州を交えての『3地域間協議』が始まりました。共に北方圏に位置し気候や風土も似ている3地域が共通する寒冷地技術やスポーツ、文化などで交流し合うことで合意し、様々な交流が検討、実施されてきました。黒竜江省から「カーリングを黒竜江省に」との相談を受け、北海道からは指導者を、アルバータ州からは用具をそれぞれ提供することとなり、3地域によるカーリング交流が始まりました。

1995年1月、黒竜江省に最初に派遣された北海道カーリング協会の土居博昭会長は、当時を振り返りこう語ります。「まだ、黒竜江省にはカーリングを知っている人もいなかった。それは、北海道がアルバータ州に初めて教えてもらったときと全く同じ。初日に集まったのは、黒竜江省やハルビン市の役所の人ばかり。こりゃまいったなと頭を抱えましたが、翌日には、なんとかアイスホッケーやフィギュアスケートの経験者が集まって、ラインも何もない氷の上で最初の指導を始めることができました」。

しかし、4年後、再び黒竜江省を訪れた土居会長は驚きの光景を目にしました。「体育館には、アルバータ州から学んだという通年型のカーリング専用レーンが2本も設置され、選手達の目は真剣そのもの。4年前とは全く違いました。省をあげて取り組んでいることがひしひしと伝わってきましたよ。それでも、一緒に訪問した北海道の代表チームは、黒竜江省チームとの勝負に圧勝していました」。その後も、北海道と黒竜江省のカーリング交流は、指導者から選手間の交流へと発展し、相互派遣や親善試合など、様々な形で広がっていきました。

最初の指導から14年・・・

2008年、北海道名寄市で開催された『パシフィックジュニア選手権』の会場で、土居会長にとってうれしい再会がありました。中国の子ども達を率いて来道したコーチが、14年前、黒竜江省で最初に教えたフィギュアスケートの選手だったのです。「あれからカーリングに転向しました。私たちは勝ちに北海道に来ましたよ」。

決勝戦は日本対中国。日本チームが2点リードして迎えた第9エンド。中国チームが長時間の競技にもかかわらず、持続する強靱な体力と集中力で逆転したのです。ジュニア大会とはいえ、日本チームが初めて中国チームに敗れた瞬間でした。土居会長は「本当に強くなっていた。考えられないほど驚きました。とても悔しかったけれどうれしい気持ちもいっぱいでしたよ」。そしてさらにこう続けます。「競技の後には、子ども達が互いを称え、国境を超えて楽しそうに交流する姿がありました。こういうことを含めてジュニアを育てることに力を入れたいのです」。

「次は負けない」そして「ありがとう」

その後、中国は、2010年の『バンクーバーオリンピック』の女子カーリングで初めての銅メダルを獲得。2011年の『パシフィックアジアカーリング選手権』で女子1位(日本は4位)、2012年『パシフィックアジアジュニアカーリング選手権』では女子3位(日本は優勝)、男子優勝(日本は3位)。中国と日本は、国をあげてのよきライバル関係となりました。

「次は負けない」。この気持ちがお互いの技術を切磋琢磨させ、絆を深め、世代を超えた交流につながっています。

カーリングは、15世紀に北欧で生まれました。〈氷上のチェス〉とも表現されるこの競技は、技術、頭脳に加え、“尊敬”“思いやり”の精神を求める伝統的なスポーツと言われます。こうした500年を超えるカーリングの伝統や精神を受け継ぎ、3地域の交流は長く楽しく続くことでしょう。今でも黒竜江省から北海道に対して何度も何度も伝えられます。

「カーリングを教えてくれてありがとう」。

<主な出来事>

1980 北海道とアルバータ州が姉妹提携締結
1981 黒竜江省とアルバータ州が友好提携締結
北海道がアルバータ州からカーリングを学ぶ
(カナダから元世界チャンピオンを招き第1回カーリング指導者講習会を開催)
1982 北海道カーリング協会設立。札幌で「アルバータ杯カーリング大会」開催
1986 北海道と黒竜江省が友好提携締結
1993 第4回3地域会議において、黒竜江省へのカーリング普及に合意
1995 北海道から黒竜江省へ最初の指導者を派遣
2008 名寄市で開催の「パシフィックジュニア選手権」で中国チームが日本に勝利
2009 北海道体育協会事業として、大学生チームを派遣
2010 北海道体育協会事業として、黒竜江省チームを受け入れ
バンクーバーオリンピックで、中国チームが銅メダルを獲得